城館は、もともとは中世に城砦として建てられたもののようだった。 石を積み重ねて作った砦の跡が、館の周囲のあちこちに残骸のように残っている。 建物自体は17、8世紀のロマネスク様式。 美しいが、暗い影のようなものを感じる。 門とドアに、ホテルでも見掛けた、この地方の旧領主ハインシュタイン家の紋章が飾られていた。 ドアについている鉄製のノッカーを叩こうとした氷河は、その城館の正面扉に鍵が掛かっていないことに気付いた。 扉の隙間から、明かりが外に漏れていたのである。 無用心と感じるのは、現代社会の生活に慣れた者の感覚だろう。 こんな森の奥には、おそらく盗人も来ない。やって来るのは、魔に奪われた恋人を捜して森に分け入り、道に迷ってしまった聖闘士か、幽霊くらいのものである。 氷河は無言で、その扉を開けた。 城の中に入って真っ先に目についたのは、エントランスホール正面にある大きな鏡だった。 氷河は、最初は、それを、この城砦の主か、あるいはその父祖の全身肖像画が飾られているのだと思ったのである。 それが自分の姿だと気付いたのは、絵の中の人物が揺らめいたから、だった。 鏡の縁には、かなり凝った意匠の木製の透かし彫りの飾りがついている。 相当の年代ものらしく、全てが妙にぼやけて映り、ほとんど鏡としての役には立っていない。 その周囲にある調度類も、ひどく時代がかっていた。 エントランスホールを、これまた随分と磨き込まれた木目の美しい階段が囲んでいる。 「どなたですか」 その階段を下りてきた人間の姿と声とに驚いて、氷河はその場に棒立ちになった。 それは、この数日間、眠ることもせずに、氷河が捜し続けていた人物のものだったのだ。 瞬は──生きていた。 「瞬……!」 その名を呼んで、瞬の側に駆け寄ろうとした氷河の足が動かなかったのは、突然彼の目の前に現れた瞬が、どこか、氷河の見知っている瞬ではないような気がしたからだった。 瞬の瞳に、氷河との再会を喜ぶ色が浮かんでこなかったからだった。 「──どちらからおいでになったんですか? この森で迷われたの?」 「瞬……?」 「もう随分遅いのに……。入って、ドアを閉めてください。ここに泊めてさしあげてもいいか、館の主に聞いてきます」 「瞬!」 「シュン……というのは、お連れの方のお名前? はぐれてしまったの?」 「…………」 瞬に、見知らぬ人間に接するような態度をとられてしまった氷河に、いったい何を言うことができただろう。 離れていたのは、僅かに5日。 なのに、瞬は、まるで氷河を憶えていない──忘れてしまっている──ようなのだ。 その上、瞬は、生まれた時からここで暮らしてきた者のように、この不思議な城館の雰囲気にすっかり溶け込んでしまっている──ように見えた。 「お疲れなんですね。そちらの椅子にお掛けになってお待ちください。すぐにお部屋を用意します」 言葉を失い呆然としている氷河に、それでも瞬は、気遣わしげな視線を投げてきた。 「大丈夫です。この館の主はお優しい方ですから、疲れ果てている迷い人を夜の森に追い払うようなことはしませんよ」 確かに氷河は疲れていた。 不安と悪い考えしか運んできてくれない黒い森の中をさ迷い続け、しかも、この理解し難い現況。 この数日間の出来事を瞬に説明し、そして瞬に説明を求めることもできないほどに、氷河は疲れ果てていた。 疲れ果てたまま、気付かずにいればよかったのである。 エントランスホールを右から左へと横切った瞬の姿が、ホールの正面にあったあの大きな鏡に映らなかったことになど。 数分後に氷河の前に現れ、温和な笑みを浮かべて、氷河にこの館への宿泊を許可した男が、死んだはずの双子座の黄金聖闘士だったことは、もはや氷河の上に、驚愕らしい驚愕すら運んでこなかった。 |