森の奥の館にいる間、氷河と瞬は、時間の感覚があやふやになっていた。
二人がサガのいた館を出ると、外には、『朝』という時間が横たわっていた。
時折目につく木漏れ日に安堵しながら、町に向かって黒い森の中を進む。
館から離れるにつれて、二人は空腹を覚え始めた。

「あの館にいる時には、何も食べなくても眠らなくても平気だったのに……」
だからこそ、瞬は、自分の死を信じたのである。
自分たちがいったい何日間をあの館で過ごしていたのか、それすらも、氷河と瞬ははっきりと覚えていなかった。

「おまえよりメシを食いたいと思うなんて、久し振りだな」
氷河の冗談を礼儀で笑ってみせてから、瞬は表情を曇らせた。

「ハーデスが、あの館とその周囲をそういう空間に作り変えてしまっていたんだろうね。人間のそんな身体の営みまで──命まで自在にする力を持っているなんて……」
サガを生き返らせた──その力がどれほど強大なものなのか、容易に想像ができる。
また逆に、強大すぎ、人智を超えていて、想像を絶する。
そんな力を持つ敵と闘って、はたしてアテナの聖闘士は彼に勝利することができるのかと、瞬は、今更ながらの不安に捕らわれ始めた。

「沙織さんは気がついているのかな。だから、あんなに僕たちを、闘いから遠ざけようとしたのかな」
「だろうな」
「そんな敵と闘って、僕たち勝てるんだろうか……。人の死と命を操る力を持った敵……なんて」
「だが、心までは操れなかったじゃないか」

氷河が、あっさりと瞬の不安を打ち消す。
「冥界の王だか死神だか知らないが、おまえの方がずっと力がある。おまえは、俺の心を操れるからな。自由自在だ」

真顔でそう言ってのける氷河に、瞬は、一時きょとんとした。
それから少し照れて、その照れをごまかすために、大仰に脱力してみせる。
「氷河って、ほんとに楽天的だよね」
だが、それくらい楽天的でないと、アテナの聖闘士は務まらないのかもしれない。
瞬は、何とはなく、間もなく会えるであろう天馬座の聖闘士の顔を思い浮かべた。

「僕たちの闘いは終わりそうにないね。敵が敵だけに、いつ死ぬかわからない」
「別に、いつものことだろう。闘いがなくても、聖闘士でなくても、それは同じだ」
「うん」
「それまで、1秒でも長く一緒にいよう」
そう言いながら、氷河が瞬の肩を抱き寄せる。

「氷河って、ほんとに楽天的……」
苦笑いと共に呟いてから、そうではなく──楽天的なのではなく──氷河は至ってシビアなのだと、思い直す。
氷河の腕に額を押し当てて、瞬は、氷河が言った言葉を繰り返した。
「うん。1秒でも長く、一緒にいようね」

不安と安らぎと、そして希望。
すべてを与えてくれる相手に出会えたことを、幸福だと思わずにはいられない。
事実、瞬は今、幸福だった。

明日からまた、別の闘いが始まることはわかっていたのだけれども。





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