「でも、ハーデスはなぜ最初から自分の身体を用いて事を為そうとせずに、僕の――人間の身体を使おうとしたんでしょう?」
瞬は未だにその理由がわからずにいた。
そのやり方が神の常套手段であることは知っていたが、それは己れの肉体を有していない神の話である。
ハーデスは彼自身の肉体を有していた。

しかも、結局最後には彼は本来の自分の肉体にすがったという。
人には傷付けられない不滅の肉体が在るのなら、最初からそれを使えばいいだけのことである。
まさか、気に入りの服に袖を通すことを惜しがっていたというわけでもあるまい。
瞬にはどうにもハーデスのやり口が解せなかった。

「さあ……。ハーデスは、人間というものに興味があったのかもしれないわね。私たちの言う“愛”がどんなものなのかを知ろうとしたのかもしれない。彼自身は、自分を愛したことしかない――いえ、彼が自分自身を愛していたのかどうかも怪しい。もちろん誰かに愛されたこともない。ハーデスは、自分が誰かに愛されることを経験してみたかったのかもしれないわ。自分が自分を愛するのではなく、自分以外の誰かに愛されることを」

それは、孤高の神として存在しようとする意思を捨てさえすれば容易に手に入るもの――である。
しかし彼は、自分が至高の存在であることを捨てる勇気を持てなかった――のだ、おそらく。

「あなた方によって、それがどんなものなのか、輪郭は掴めたのかもしれないけど、結局それは彼の手には入らなくて、彼は孤独なまま。ハーデスは、知ってしまったものが自分のものにならないことを悟った瞬間に、“愛”を憎んでしまったのかもしれないわ」

神として人間の上に君臨することをやめ、人間と同じ位置に立つことで、“それ”を手に入れ、手に入れた“それ”に満足している沙織は、不幸な親族の孤独に少なからず同情しているようだった。
彼女の言葉の端々に、憐憫の情を感じ取ることができる。

「だとしたら、彼は、いちばん憎んではいけないものを憎んでしまったことになりますね。なんだか……」
『かわいそう』という言葉を、瞬は飲み込んだ。
いくら何でも、人類の殲滅を企んだ者に、その言葉は与えられない。
瞬は“人間”なのだ。
愛を知らぬ一個の生き物として存在した時には、神よりもはるかに非力な。
そして、一人きりでなくなった時には、孤独な神よりもはるかに強く幸運な。

「仕方がないわ。人間を非力で愚かな存在と見くだしながら、神というものは結局、愛を支配し支配されている人間というものに憧れている存在なのだから」
神を哀れむことは、神の心情のわかる神に任せておいた方がいいのだろうと、瞬は思った。
幸運で幸福な“人間”に敗北を喫し、その上、その人間に哀れまれてしまったのでは、あの闇の国の王がみじめすぎる。

しかも瞬は、仲間と人類と人間界の存続のためとはいえ、彼の孤独を利用して彼を倒した人間の片割れだった。





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