10人の証人たちが二人の成婚を認める証明書に署名をして、この婚姻は成った。
務めが終わったあともシュンは気分が悪そうにしていて、ヒョウガはどうにも そのままシュンを一人にする気になれなかったのである。
遠来の客のために王宮内に用意された部屋に、ヒョウガはシュンを連れていった。

「しかし、こんな見世物に、どんな事情があれ、君みたいな子供を参加させるべきじゃない。助平ジジイのための暇つぶし興行だろう、要するにこれは」
やり方も忘れたような老人たちが、回春のための刺激を求めてやってきたような くだらない見世物だ――とまでは、さすがのヒョウガも言うことはできなかった。
代わりに、
「公位継承権を持つ者も大変だな」
と、同情ともいたわりともつかない言葉を吐く。

現レッジョ公の実子であるにも関わらず、ヒョウガは公位継承権を与えられていない。
シュンにかけた言葉に皮肉やひがみの響きが混じっていたのではないかと、その言葉を吐き出してから、ヒョウガは己れを顧みることになった。

「あなたも、助平の暇つぶしでいらしたんですか」
しばらく椅子で休んでいるうちに、シュンの心身の不調はなんとか回復したらしい。
シュンは本来はなかなかに機転の利く少年であるらしく、元気を取り戻した彼は、明瞭な発音の語り口でヒョウガにからかいの言葉を投げてきた。

「まあ、そんなもんだ」
ヒョウガが、皮肉めいた苦笑を浮かべ頷く。
シュンはすぐに首を横に振った。
「うそ。うんざりなさっているような顔をしておいででした」
あの状況でシュンが他人の表情を正しく観察できていたことに驚くべきか、あるいは、あの状況だったからこそシュンは彼が本来観察すべきものから目を逸らさずにはいられなかったのだろうと同情すべきかを、ヒョウガは一瞬迷った。

相手がこの少年でなかったら、自分の容貌が人目を引くのは当然のことと うぬぼれていたところだったろうが、この少年が相手では そうはいかない。
半分だけ血の繋がったヒョウガの兄が一目惚れしただけあって、ミラノの王女はなかなかに美しかったが、シュンの貌は 王女のはるか上をいっていた。
清潔、清楚、清澄――そんな形容がヒョウガの頭の中に浮かんでは消え、最後に『とにかく常人とは違う』という結論が残る。

「このことのためだけに、呼び出されたんだからな。君がいなかったら、俺はさっさと職務放棄していたかもしれない。助かった」
「僕も……。あの、僕、シュンといいます」
「ミラノ公の甥御だそうだな。俺はヒョウガ。レッジョ公国の――まあ、はみ出し者だ」
「ヒョウガ」
確かめるように、シュンは、その名を復唱した。
それだけのことだったのに、ヒョウガはこの少年に、何かぞくぞくするものを感じることになってしまったのである。

シュンは、無事に務めを果たすことのできた遠来の客に気の毒そうな表情を向け尋ねてきた。
「本当にこのことのためだけにミラノまでいらしたんですか? すぐレッジョにお帰りになるの?」
「このためだけにわざわざミラノまでやってきたと思うのは癪だから、せめて美味いものでも食って、故国に帰ることにする」
口を突いて出てきた己れの言葉に、ヒョウガは内心で呆れていた。
あのくだらない仕事に取り掛かるまでは――シュンに会うまでは――ヒョウガの胸中にあった彼の目的物は、『美味いもの』ではなく『ミラノの美女』だったのだ。

だが、ヒョウガはすぐに、自分が子供向けに言葉をすり替えたのではないことに気付いた。
シュンを見たあとでは、どれほど妖艶な美女も色あせて見える――もとい、無用な色が付きすぎていて鬱陶しいと感じる――に違いないと思う。
ヒョウガは、自分のミラノ土産は、この“澄んだ”少年の面影だけになるだろうことを覚悟したのだった。

そんなヒョウガに、シュンが思いがけない提案をしてくる。
自分という存在が遠方からやってきた旅人の楽しみを奪ってしまったことの責任をとろうとしたわけでもないのだろうが、シュンはヒョウガに、
「僕の館にいらしてください。あの……兄は不在で、政治的な情報は提供できないと思いますが、食事や文化面でなら、多少はヒョウガを楽しませてさしあげられるかもしれません」
と申し出てきたのだ。

ヒョウガは正直、美味いものや益になる情報など得られなくても、シュンに会えるだけでも、その訪問は楽しいものになりそうだと考えて、シュンの提案を嬉しく思ったのである。
だがすぐに別の、あまり楽しくない考えが浮かんでくる。
シュンは、大国ミラノの公位継承権を持つ、言ってみれば厄介な相手なのだ。
公位継承権を持たないレッジョ公国の王子が彼に近付くことは、人々の上に無用な疑惑の影を落としかねない。
公位に手が届きそうで届かない場所にいる二人が結託して無謀な夢を見ようと企んでいるのではないかと、両国の者たちは疑わないだろうか――?
ヒョウガは、それを懸念した。

だが、このままシュンの面影だけを土産に国に帰国するのは あまりに空しい行為だとも思う。
理性と感情の対立に、ヒョウガは素早く折り合いをつけた。
牽制の言葉と共に、ヒョウガはシュンの申し出を受け入れることにしたのである。
「そうしよう。君の兄君と君は、あの病弱そうな王子に次いで第2位、第3位の公位継承権を持つ重要人物だそうだし。知り合っておいて損はないだろう」

自分たち二人が近付くことは厄介事を招くかもしれないことでもあるとシュンが気付き、彼の方がレッジョ公国の王子を避けてくれたなら、それはそれで良いことだと思い、ヒョウガはシュンにそう告げた。
が、シュンは、ヒョウガの言葉の裏にあるものを たやすく読み取ってみせてくれたのである。
シュンは、ヒョウガの牽制の言葉を受け、すぐに にこやかな笑みを浮かべた。

「公位継承権なんて面倒なものを僕が持っていなかったらよかったのにと思ってらっしゃる」
「……」
ヒョウガは、シュンの対応に少なからず驚かされたのである。
女も知らないような子供の、この聡明。
自分がシュンに感じた驚きを隠さずに、ヒョウガはシュンに尋ねた。
「君は人の心が読めるのか」
「お顔に出されてました」

“お顔”に本音を出したつもりなどなかったヒョウガは――ヒョウガの方が、返答に窮する。
いずれにしてもシュンは、自分が公位継承権を持っていることに驕ってはおらず、野心の類も持ってはいないらしい。
ヒョウガは、シュンの花のような外見だけではなく、その中身の方にも俄然興味が湧いてきた。
ミラノの美女と情熱的な夜を過ごすより、この目許の涼しげな少年と丁々発止のやりとりをしている方が、よほど刺激的で楽しい時を過ごすことができそうな気がする。

「明日、訪ねる」
ヒョウガがシュンの申し出を受ける意思を伝えると、
「はい……!」
シュンはひどく嬉しそうな目をして、ヒョウガに大きく頷き返してきた。






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