かなしい顔をしていた。
 沙織が。
 とてもかなしい顔をして立っていたので。
 瞬は、彼女がすべてのことを知っているのだと悟った。
「沙織さん」
 瞬が名を呼んだが、沙織は答えなかった。
 否、答えようとしたのだが。あふれる感情を一生懸命裡に抑えようとして沙織は、言葉を発することができずにいた。
「…沙織さん」
 瞬がもう一度、けれど先程とは声の調子を変えて呼びかけた。
 泣きそうなこどもをなだめるような声色で。
 …ふっ、と、張りつめていた沙織の瞳が弛んだ。右手で口を押さえたその隙間から、小さく嗚咽が漏れた。
 瞳を閉ざし沙織がちいさく首を振ると、涙の雫がきらめいて落ちる。そのさまを瞬は悲哀と慈愛の混じった眼差しで見あげていた。
 沙織が誰のために泣いているのか。
 それくらいのことは勿論わかっていた。
 彼女の涙は美しく、瞬は心を洗われているような気すらしてきた。
「…泣かないで」
 指を伸ばす瞬に沙織はなおも首を振って答えた。
「あなたが泣かないから…泣き虫だったくせにそれなのにあなたが泣かないから…だから私が…」
 しゃくり上げる沙織の、その言葉は半分以上言葉になっていなかったが、それでも瞬はその言葉にならぬものの意味を含めて、すべての言葉を聞き取ることができた。
 けれど多分、自分には。
 泣きながら悲しむより、泣かずに耐えることの方が今は楽なのだ。
「大丈夫だから…」
 瞬は沙織を見上げ微笑う。
 今その言葉ほどに嘘臭い言葉などなかったが、それでも他に言える言葉もまた、なかったのだ。
「大丈夫」
 沙織もそれくらいのことはわかっていた。
「沙織さん…氷河を連れて行って…」
 瞬が瞳を伏せて言った。






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