おそらく、僕の中で、その日々は、自分の身体を自分で支配できない屈従の日々ではなく、幸福な時間だったに違いない。

その幸福な時間にピリオドが打たれる時は、存外に早くきた。
その時の到来の早さは、僕があまりに――氷河に抱きしめられることを幸福だと思いすぎて、それが“彼”にとって、退屈しのぎにもならないほど退屈なものになってしまったから――だったのかもしれない。


「私は瞬ではない」

僕の中に精を放った後、いつものように僕を抱きしめようとした氷河に、“彼”は、そう告げた。

僕の身体の快楽の波が収まるのを見計らい、僕の心を僕の身体の奥底に押し込めてから、まるで、楽しい週末はこれで終わりだと言うかのように、あまりにも無造作に。

そんなことを言いたくはないのに、僕は言いたくないのに、どうして“彼”は言ってしまうのだろう。


「瞬?」
僕の首に添えられていた氷河の手が、少し強張る。
それから、氷河は、眉をひそめた。
“彼”の言葉を真に受けてはいないようだった――まだ。

それはそうだろう。
たった今まで、僕と氷河は――月並みな言い方をするなら――これ以上はないくらい甘く溶け合っていたのだから。

だが、僕を使っての“彼”の退屈しのぎの時間は、本当にもう終わってしまったらしい。

「瞬は、そなたの命を救うために、この身を私に捧げた」
“彼”は、僕の唇を使って、言葉を吐き続けた。


「……では、おまえは誰だというんだ」
「神と呼ぶものもいる。魔王と呼ぶものもいるが」

「何を馬鹿な……。瞬、あまり悪ふざけが過ぎると、いくら俺でも――おまえでも……」
僕を黙らせるために、氷河が、その指で僕の唇に触れる。

そして、氷河は、僕の唇と目の冷ややかさに気付いて、今、彼の目の前に裸身をさらしている人間が僕じゃないことに気付いた――らしい。
少なくとも、違和感を覚えたらしかった。


「では、瞬はどこにいるんだ」
「この身体の奥に存在することは存在する。何の力も有していないものとしてだが」


氷河は、混乱している――はずだった。
彼が抱いていたもの。
彼を受けとめていたもの。
それが、得体の知れない化け物だったのだから。

なのに、氷河の声音は、不思議に乱れを見せない。


「なら、瞬を返せ」
氷河は命じるようにそう言い、“彼”は――僕の身体は――そんな氷河に、小さな微笑を投げた。


「そなたの望みを叶えるには、代償が必要だ」
「俺は人に与えられるようなものなど、何も持っていない」

「瞬が、そなたの命を救うために、そうしたように――。そなたの身体と私に差し出せ」
「なに?」

「瞬が、その身体と心で得る快楽がどれほど甘美なものなのかはよくわかった。今度は、そなたが瞬を抱いて得るものを味わいたい」

「…………」
氷河が初めて、その瞳に嫌悪と軽蔑の色を浮かべた。





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