「彼の人物画には、贋作の噂もあるようだが」

それまでは、存在の可能性が取り沙汰されたこともなかったというのに、画家の死後、突然市場に出回ってきた絵。
出どころは遺族となっていたが、それも真実なのかどうかはわからない。
この世界ではよくあることだったが、それにしても、画家の死から数年、その値が急騰している時期に未発表の新作が続々発見されるというのは、出来すぎた話である。

「そのようですね」
食えない画商は、氷河に探りを入れられても顔色ひとつ変えない大狸だった。

「恐ろしいほどの高値がついているそうだが、確かにいい。鑑定家たちが、あえて贋作と断定しないのも、存外、この絵に魅了されてしまったからなのかもしれないな」

金はあった。
個人で数万件ものたんぱく質特許を持っている氷河の許には、各国の製薬会社・研究所からいくらでも特許使用料が入ってくる。
彼が祖国を捨てて、日本に居を移したのは、彼の大口顧客が日本に集中していたためでもあった。

そして、非常に腕と目のいい画商がそこを拠点にしていたため。
日本の絵画の流通量は、家族の写真を飾って満足している良き家庭人の多い欧米諸国のそれの、はるか上をいっているのだ。


「しかし、350万ドルは破格の値段でしょう」
「本物ならな」
「贋作とおっしゃるので?」
「贋作だろう。おまえにわからないはずがない」

「…………」
大狸は、言質を取られるようなことは口にしない。
彼の沈黙はいつも正直だった。

「だが、本物よりいい」
だから、氷河は彼を信頼していた。

「置いていけ。他にもあるのか?」
言いながら、氷河は、デスクの上にあった万年筆で売買契約書にサインを入れた。

「私が入手できたのは、これだけです。他に4点が確認されていますが、既に各国のコレクターたちの手に渡っている。市場に出てくることはまずありますまい」
「ふん」

つまり、コレクターたちは、投資の材料としてその絵を買ったのではないということである。
彼等は、彼等自身がそれを愛でるために、贋作と知りつつも、その人物画を購入したに違いなかった。






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