さて、瞬を城中に軟禁するのに成功したその夜、氷河国王は下心一杯で、瞬を閉じ込めておいた部屋に向かいました。

その部屋には、わざとらしく、天蓋付きの超豪華なダブルベッドが置いてありました。
そして、ベッドの他には、椅子ひとつテーブルひとつありませんでした。
氷河国王が自分の目的を果たすのに、テーブルなんて必要なかったからです。


氷河国王がその部屋に入っていった時、瞬は、無意味に立派なベッドの端に、肩を落として座り込んでいました。
氷河国王の姿を認めると、瞬は、邪欲に満ち満ちた国王に、悲しげな眼差しを投げかけました。


「僕……邪悪な人間だったんですね……」
「ん? いや、それは……」

瞬は、どうやら、あの邪悪判定服の力を本気で信じているようでした。
まさか、あの服はただの空気だと、本当のことを言うこともできずに戸惑った氷河国王に、瞬が言葉を続けます。

「そんな気はしてたんです……。僕……兄さんに甘えてばかりで、兄さんは何だか辛い仕事をしてるみたいなのに、僕には何も言ってくれなくて、家族が辛い思いをしてるのに、僕は何にもできなくて……ううん、できなかったんじゃない、しなかったんだ……」

「…………」
瞬が告白してくる“邪悪”の可愛らしさに、氷河国王は少々目眩いを覚えてしまいました。

一輝の仕事が辛いはずありません。
国は平和で豊かでした。
一輝を疲れさせていたのは、自分がふさわしい地位にいないという思いだったでしょう。
はっきり言って、非常にありがちな上司への不満です。

氷河国王もそれは承知していましたが、彼は一輝の職場改善をするつもりは毛頭ありませんでしたし、今はそんなことよりも、瞬の落胆と誤解を解くことの方が優先事項でした。

「それはおまえのせいじゃないだろう。たとえそうだったとしても、それは邪悪じゃない」
「怠惰も罪に変わりはありません。実際、僕には、あの服が見えなかった」
「いや、だから、あれは……」
「僕にだって、何かできることがあったはずなのに、それなのに僕は……」

瞬の嘆きは大層深いもののようでした。
これは、到底、ヨコシマな欲望に任せて押し倒せるような雰囲気ではありません。

「そんなことはない。もしそうだったとしても、それはこれからいくらでも取り返しのつくことだ」

氷河国王の慰めにも、けれど、瞬は首を横に振るばかり。
「だったら、僕の中には、もっと別の邪悪が潜んでいるんです。だって、僕には、あの服が見えなかったんだもの」

「…………」
瞬を側に置くために、自分が非常にマズい手を使ってしまったらしいことに、氷河国王は遅ればせながらに気付きました。
瞬が、これほど内罰的な人間だったなんてことを、氷河国王は知らなかったのです。

なにしろ、氷河国王は外罰的人間の典型、都合の悪いことは全て他人のせいにして、我が道を歩んできた人間でした。
そして、そういう人間は、往々にして実に小狡く――もとい、賢く――できています。

氷河国王は、瞬を浮上させるために、言いました。
「……たとえ、おまえの中に邪悪が潜んでいるにしても、おまえが自分を責める必要はない」
「え?」

「もし、おまえの中の邪悪が表に出てきたら、俺がおまえを正してるから」
「王様……?」
「俺がずっとおまえを見張っててやるから」
「王様……」

氷河国王は、もちろん、そうする必要があるのなら、愛する瞬のために、その言葉通りにしていたことでしょう。
それは、とても楽しい仕事なのに決まっています。

ただ、この場合、それはただの仮定文に過ぎませんでした。
その意味のない仮定文に感動して、瞬が、ぽろりと涙を零します。

それから、瞬は、
「……王様、とっても優しいんですね。ありがとうございます……」
――と、零れた涙を拭いながら言いました。

「…………」
これでまだヨコシマな欲望を抱き続けていられたら、氷河国王は正真正銘の悪党だったことでしょう。
けれど、氷河国王は、涙をたたえて自分に感謝してくれる相手にヨコシマ気分を維持継続できるほど、立派な悪党にはなりきれていなかったのです。

瞬に素直な感謝を捧げられると、氷河国王のヨコシマな欲望は急激に失速してしまったのでした。


結局、その夜、氷河国王は大願成就することはできませんでした。
けれど――氷河国王は、なぜかそれでも満足できてしまったのです。

下心は成就できませんでしたが、代わりに、瞬の感謝と信頼を得られたのですから。
それは、氷河国王をとても幸せな気分にしてくれました。

ただ、その幸福感は、自分は瞬を騙しているのだという良心の呵責を伴っていました。


ともあれ、それから毎晩、氷河国王は瞬の許を訪ねて、瞬の話を聞き、瞬を慰め励まし、そして、下心を満たすことのできない日々を送ることになったのでした。





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