「し……しかし、伯父にはそんな趣味は……。むしろ、瞬を送り込むことの方が、新たな戦の理由に――」
「ご安心を。我が国には、同じ杯から飲めば、相手が異性だろうが同性だろうが、たちまち熱烈に恋し合うという媚薬がございます。それを持参いたしました。コーンウォール王は、愛に屈し、戦を忘れ、幸せになることでしょう」

「媚薬……」

武力のない国は、他の力に頼る術を心得ているようでした。
アイルランドは各種の霊薬で名高い国でしたから、そういう不思議な薬も実在するのでしょう。戦場で怪我をした氷河を救ってくれたのも、そういえば、瞬が持っていた薬でした。

「その……媚薬を飲めば、伯父だけでなく、瞬も伯父を恋するようになるのか……?」
「その通りです。国のために、こんな屈辱的な犠牲に耐えてくださっているのです、瞬様は。瞬様には、この屈辱を忘れて、幸せになっていただかなければ」

「そんなまやかしの幸せが何になるというんだ!」
「まやかしでしょうか? これは、一生醒めぬ夢です。自分自身が自分自身を幸福だと思い、周りの者たちもお二人を幸福だと思うでしょう。コーンウォールの王は、とても浅慮な方のようですけれど、なかなかの美丈夫ときいております。きっと、美しい一対ができあがりますわ」

氷河には、アイルランドの人間の考え方が、まるで理解できませんでした。
彼にとって、幸せとは、薬や他の人間の手から与えられるものではなく――自分の手で勝ち取るものだったのです。

それよりも何よりも、その媚薬の力とやらで、この先、瞬がコーンウォールの王を恋慕う様を日々見せられることになったなら――
「……俺が……幸せになれない」

そんな日々に、氷河は耐えられそうにありませんでした。
それが、瞬の偽りない心から出たことだというのならまだしも、薬などの力で作りだされたまやかしの愛の姿となったら、なおさらです。

氷河の呟きを、けれど、瞬付きの侍女は、全く違った意味に解したようでした。
「ああ、あなたは王になりたくないのでしたわね。でも、ものは考えようでしょう。王になれば、あなたは今以上に我儘放題ができるようになりますわ。もちろん、その時には、瞬様は我が国に返していただきますけども」

「そんなことじゃないっ!」
「氷河……」

氷河の怒声に、瞬が切なそうな目を向けてきます。
それは、あの時、戦場で、『なぜ敵を助けるんだ』と氷河に尋ねられた時に、瞬が氷河に向けてきた眼差しに似ていました。

氷河には、それは、自分の中の矛盾に苦しんでいる人間の眼差しに見えました。

自分の力で得たものでなくても、薬によって与えられたものでも、自分自身が幸せだと思い、周囲の人間の価値観でも幸せに見えるのなら、それは確かに“幸せ”というものなのかもしれません。
それが夢や幻に過ぎなくても、決して醒めないものなら、無理に現実を見る必要はないのかもしれません。

ただ、氷河が、そんな瞬の姿を見ていられないだけで――。

氷河は、瞬に尋ねました。
「おまえはそれでいいのか」
――と。

瞬は、また顔を伏せて、小さな声で答えました。
「……両国は平和になりますし、そうなれば、我が国の民も、いつ起こるかわからない戦の脅威に怯えて過ごす必要がなくなります」

氷河が聞きたかったのは、国のことや国の民のことではなくて、瞬の心でした。
「本当に、それでいいのかっ !? 好きでもない相手を好きだと錯覚して、そんな奴に抱かれて毎日を過ごすことになるんだぞっ」

つい声を荒げてしまった氷河に、瞬が――瞬もまた、叫ぶように必死な目をして訴えてきました。
「平和がっ! 戦に怯えることのない平和が欲しいんですっ! 戦が好きで、暇つぶしに戦を仕掛けてくるあなた方に何がわかるっていうのっ!」

「瞬……」

氷河に、何を言うことができたでしょう。
確かに、コーンウォールは、特に切羽詰った理由もなく――しいて言うなら、自分たちの存在の意義を確信するために――アイルランドに戦を仕掛け続けてきました。

こちらが遊び半分で戦を楽しんでいるからと言って、相手もそうだとは限りません。
そんな当たり前のことに――ほんの少し相手の立場に立って考えてみれば、すぐにわかることに――氷河はそれまで気付かずにいたのです。

これは、今まで相手のことを考えようとせずに、自分の都合だけを通していた氷河への――コーンウォールへの――手痛いしっぺ返しでした。

コーンウォールは、これまで、アイルランドのことなど、まるで考えていませんでした。
アイルランドが、コーンウォールに思い遣りを示す義理などどこにもないのです。





【next】