「媚薬は海に捨てさせてもらったぞ。今頃、海の底では、鮫が鰯に求婚していることだろう」

大切な媚薬の入った入れ物が消えてしまったことに気付いて、大騒ぎしている瞬の侍女に、氷河がそう言い放ったのは、翌朝のことでした。
既に、船の甲板からは、コーンウォールの国の岸が見えていました。

「何ということを! あの媚薬なしで、瞬様がコーンウォール王の前に出たらどうなるか、あなたはそんなこともわからないほど愚か者だったんですかっ! あなたは、瞬様をお好きなのではなかったのっ !? 」
彼女が心配しているのは、好戦的なコーンウォールの王の怒りと、その怒りがもたらす結果のようでした。
怒りに身を任せたカミュ国王が、瞬を処刑するようなことになるのではないかと心配して、彼女は慌てているのです。

「もちろん、俺は誰よりも瞬を愛しているぞ」

氷河は、彼女をなだめるようにそう言って、それから瞬に視線を向けました。

「伯父は何もしない。コーンウォールの者たちは、確かに気が荒いし、単純で浅慮な者が多いが、馬鹿じゃない。皆、根は善良なんだ。本当のことを話せば、きっとわかりあえる。これまでのことも反省する。コーンウォールとアイルランドに足りなかったのは、互いを理解し合うための対話だったと思う」

「氷河……」
氷河の告白に頬を染め、けれど同時に青ざめながら、瞬は心許なげな眼差しで氷河を見詰め返しました。

「最初は、おまえに飲ませるために、盗もうとしたんだ。半分を俺が飲むつもりでいた。そうすれば、おまえは、国のことなど忘れて、俺を愛してくれるようになるのだろうと思った。だが、俺が欲しいのはそんなおまえではなかったし、その必要もなさそうだったから」

瞬は、氷河のしたことに困惑しているようでした。

そして、媚薬を飲んだわけでもないのに、恋のことしか考えていないような氷河の態度に、瞬は泣きそうな顔になりました。
「僕が欲しいのは、平和なんです。そんなことをしたら、コーンウォールはまたアイルランドに――」

その先を、瞬は言葉にすることができませんでした。
これまで以上に、コーンウォールの馬の蹄に蹴散らされることになる故国――。
そんな事態を、瞬は言葉にすることすら耐えられなかったのです。

氷河は、けれど、そんな瞬に楽しそうに笑ってみせました。
この暴挙は、氷河なりの目算があってのことだったのです。

「コーンウォールの民は、確かに戦うことが好きだ。戦うことで、自分自身の存在意義を確かめようとする性癖がある。だから」
「だから?」
「そこを逆手にとる」
「え……?」

自分の意図するところを理解しかねているらしい瞬に、氷河は具体的方策を説明してやりました。
すなわち、
「おまえに恋をした俺が、おまえを伯父に渡したくないと苦悩して、恋と義の間でどれだけ苦しい戦いを戦ったかを、皆に吹聴してまわるんだ。この世に、恋の戦より苦しく激しい戦いはないと宣伝してやる。そうと知ったら、コーンウォールの騎士たちは、こぞって恋人を探し始めることになるだろう。自分の武勇伝を誇れるような難攻不落の美女を求めて」
――という説明です。

「…………」
氷河が何を企んでいるのかを知らされても――知らされたからこそ、ますます――瞬の困惑は深まるばかりでした。
コーンウォールとアイルランドの長年の戦がそんなことで終わるのかと、当然のことながら、瞬は戸惑わずにいられなかったのです。

ですが、氷河の方は、自分の計画に自信満々でした。
「言ったろう。コーンウォールの者たちは、みんな単純なんだ」
「あの……そんなことで……?」
「まあ、美女を求めたコーンウォールの騎士たちがアイルランドに渡って、迷惑をかけることはあるかもしれないが、それくらいは大目に見てやってくれ」

「氷河……」
そこまで自信たっぷりに言われても、瞬の不安が消え去ることはありませんでした。


けれど――。





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