氷河たぬきが人間に捕まって剥製たぬきにされてしまったのは、今からもう何年も前のことです。
その頃、氷河たぬきには可愛い恋たぬきがいました。
氷河たぬきの恋たぬきの名前は瞬と言って、木曽のお山でいちばんの美形たぬきと評判だったのです。

二匹のたぬきは、それは熱烈に愛し合っていました。
氷河たぬきが剥製たぬきになっても、瞬たぬきは彼を諦めることができず、毎晩氷河たぬきの許に忍んできていました。

実は、氷河たぬきが人間に捕まってしまったのも、元はといえば、瞬たぬきへの愛ゆえだったのです。


「氷河……。僕のために人間に捕まって、こんな姿に……」
氷河たぬきの許にやってきた瞬たぬきは、今夜も、昨晩と同じように、いくら嘆いてもどうにもならないことを、また嘆き悲しみ始めました。

(すまん、瞬。俺はもう、おまえを守ってやることも、おまえとむにゃむにゃすることもできないカラダになってしまった……)
氷河たぬきは、そんな瞬たぬきの肩を抱いてやることはできません。
慰めの言葉を囁いてやることもできないのです。
氷河たぬきの嘆きの深さ・激しさは、瞬たぬき以上でした。

けれど、氷河たぬきへの愛が消えていない瞬たぬきには、氷河たぬきの心の声がちゃんと聞こえるのです。
氷河たぬきの心の声を聞いた瞬たぬきは、大きく左右に首を振りました。
こんなことになったのは、氷河たぬきのせいではないのです。

「人間って、ひどい……。平和で食べ物がたくさんあった僕たちのお山を潰して、宅地になんかしたのは、人間なのに……。氷河は、お山に食べ物がなくなったから、他にどうしようもなくなって、金髪の外人さんに化けてお里におりていって、ちょっとコンビニに入って、葉っぱのお札でチョコレート買おうとしただけなのに……! なのに、こんなことするなんて……!」

さめざめと泣き崩れる瞬たぬきの姿に、氷河たぬきの胸は今にも張り裂けそうです。
瞬たぬきの嘆く姿を見ているのも辛くてなりませんでしたが、食べ物を手に入れるのが下手くそだった瞬たぬきがちゃんとご飯を食べているのかどうかも、氷河たぬきは心配でなりませんでした。

(瞬……。おまえ、ちゃんと食べてるか? 飢えてなんかいないか?)
「僕、もう、食べ物なんか、どうだっていいの。僕も早く死んでしまいたい。そして、氷河と同じ剥製になって、永遠に一緒にいたい……」

(馬鹿なことを言うんじゃない! おまえは、俺の分もちゃんと生きて、俺の分も幸せになるんだ。そして、こんな姿になった俺のことなんか、早く忘れるんだ。おまえはとっても可愛いたぬきだから、きっと、俺よりいいたぬきがいくらでも――)

可愛い瞬たぬきにこんな言葉を告げなければならない日が来るなんて──。
氷河たぬきは、身じろぎひとつできない我が身の不幸を呪わずにはいられませんでした。

けれど、心にもない言葉を口にする辛さよりも、氷河たぬきを苦しめたものは、剥製にされる前に聞いていたなら小躍りして喜んでいたに違いない、瞬たぬきの健気すぎる叫び声の方だったのです。
「僕は、氷河じゃなきゃ嫌だっ! 僕の好きなのは氷河だけだもの……!」
(瞬……。しかし、俺はもう、おまえにエサを運んでやることも、むにゃむにゃしてやることも……)

「氷河こそ、馬鹿なこと言わないでっ! 僕が氷河を好きになったのは、氷河がたくさんエサを運んできてくれたからでもないし、氷河がたくさんむにゃむにゃしてくれたからでもないよ! そうじゃなくて、そうじゃなくて……!」
瞬たぬきは、その先を言葉にすることができませんでした。
氷河たぬきがいつもとても優しくしてくれたこと、元気にお山を走り回っている氷河たぬきの姿が生き生きしていて、とても好きだったこと、氷河たぬきの暖かい瞳に見詰められるたびに胸がどきどきしたこと──今更そんなことを氷河たぬきに告げて、いったいどうなるというのでしょう。

「……どうして、こんな……どうして、氷河がこんな目に合わなきゃならないの……っ!」
瞬たぬきにできることは、氷河たぬきの足許に、力なく泣き崩れることだけでした。
他に、瞬たぬきにできることは何もなかったのです。

(瞬……泣かないでくれ……)

そして、氷河たぬきにも、瞬たぬきのためにできることは何ひとつありませんでした。





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