その日、瞬は、氷河のためにベッドを買おうかと考えていた。

これまでホームステイを引き受けてきた外国人たちは、例外なく、畳の上に敷かれた布団を喜んでくれたが、氷河は、そんな日本文化に触れるためにやってきた青年たちとは違うのである。
瞬は、氷河に、なるべく快適な生活を提供してやりたかった。


氷河の意向を確かめてみようとして、瞬は、彼の部屋――実際には、ほとんど使われたことのない瞬の兄の部屋なのだが――に足を運んだ。

本来はフローリングの洋室に畳を敷いて和室に仕立て上げている部屋は、兄の趣味で洋風の引き戸や開き戸ではなく、障子が設えられている。
ノックの代わりに氷河の名を呼んだのだが、氷河にはその声が聞こえなかったらしい。
瞬は、開きかけた障子をほんの少し開けたところで、その手を止めた。


氷河は、部屋の中央に正座をしていた。
その目は、その場に存在しない何かを凝視している。

彼の横顔はひどく険しく、到底、“平和”に馴染みつつある人間のそれではない。
そして、瞬には、氷河のその険しい色合いの瞳が、なぜか泣いているように感じられて仕様がなかったのである。


「氷河……」

守りきれなかった母親、知らぬ間に過ぎてしまった、彼自身の時間と時代――。
もしかしたら、今が“平和”だということすら、彼には辛い事実でしかないのかもしれない。

瞬は、結局、氷河に声をかけることができなかった。





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