「ね。氷河には、好きな人いたの?」 「食料の確保と母を守るので手一杯で、それどころじゃなかった」 もしかすると、“孤独”が“平和”を受け入れようとする氷河をためらわせているのかもしれない――と、瞬は、その夜、まんじりともせずに考えた。 「じゃあさ。あのね。恋をすれば、氷河は一人じゃなくなるし、新しい家族を作ることもできると思うんだ。どう?」 見知らぬ世界にひとりで投げ出された不安も、失われたものを嘆く思いも、孤独でなくなれば消え失せるに違いない。 そう思って、瞬は、翌日、氷河に水を向けてみたのである。 だが、氷河の返答は、思いがけないものだった。 「瞬には――色々なところに連れていってもらった。たくさんの人を見た。だが、瞬ほど綺麗で親切な人間はどこにもいなかった」 「え?」 氷河の言葉に一瞬戸惑ってから、その戸惑いを隠すように、瞬は、とってつけたような笑みを自分の顔に貼りつけた。 「ま……まだ、誤解してるの? 僕は男の子だってば」 「だが、瞬ほど美しい目をした人間はいない」 「…………」 真顔で氷河にそう言われ、瞬は思わず頬を上気させてしまったのである。 どぎまぎしながら、瞬はなぜか、つい先程までの考えとは全く逆の言葉を口にしてしまっていた。 「そ……そうだね。無理に彼女なんて作る必要なんてないよね。氷河だったら、そのうち向こうからいっぱい女の人たちが寄ってくると思うし、慌てたりしないで、それまでずっとここにいればいいよね」 「俺は異邦人だから、それはあまり期待できないだろう」 「今は、外人さんとか、そういう方がもてるの」 「俺は、本当は80歳の老人で、自分のものと言えるものは何も持っていない。瞬に迷惑をかけることしかできない」 「そんなことないよ。僕、それまでずっと氷河の面倒見てあげる。僕、氷河好きだもの」 「そんなことを言ってくれるのは、きっと瞬だけだ」 氷河の笑みに、あの切なく遣る瀬無い色が戻ってきている。 それに気付いて、瞬は、思わず叫んでいた。 「僕だけじゃないよ!」 だが、氷河のやりきれないような表情は、ますます深くなるばかりだった。 彼は、瞬が叫んだ言葉を少しも信じていない――喜んでもいない――ようだった。 しばしの間を置いてから、氷河がぽつりと呟く。 「……ずっと、ここにいたい」 「え?」 「俺には何もない。他に居場所も見つけられない」 氷河の暗い表情が、なぜかふいに、瞬には快いものに感じられてしまった――のである。 同じように翳りを含んだ氷河の眼差しが、辛く感じられたり快く感じられたりする不思議に、瞬は困惑していた。 自分は氷河の言動の何が嬉しくて、何が悲しいのか――自分の感情が、瞬にはまるで理解できなかった。 理解できないままに、そして、瞬は氷河に告げた。 「ずっとここにいていいよ。ううん、いて」 「しかし、いつまでも瞬に甘えてはいらいれない」 自身が洩らした弱音を恥じるように、氷河が首を左右に振る。 「氷河、甘えてなんかいないじゃない。あのね、辛かったら泣いてもいいんだよ。寂しかったら、そう言っていいの。僕、慰めてあげるから」 「…………」 氷河が、瞬のその言葉に驚いたように、瞳を見開く。 『泣いてもいい』『甘えてもいい』などという言葉を、もしかしたら、彼はこれまで一度も――自分自身の内なる言葉としても――聞いたことがなかったのかもしれなかった。 「――これが平和というものか……」 「氷河……?」 瞬に名を呼ばれると、氷河は微かな笑みを目許に刻んだ。 瞬が、彼の呟きの意味を確かめようとするより先に、その両腕が瞬の背にまわってくる。 「ありがとう」 氷河に強く抱きしめられてしまった瞬は、結局、それが、涙を隠すための抱擁なのか、あるいは、言葉通りに感謝を示すための抱擁なのかを知ることはできなかった。 瞬は、それどころではなかったのである。 異様に速く強く打つ自身の鼓動を、氷河に知られないようにするのに――そんなことは無理だというのに――手一杯で。 |