氷河がマスコミを賑わすようになって、ふた月も経った頃だった。
突然、彼が、瞬と暮らしていたマンションの玄関に姿を現したのは。

借り物でないスーツは、もう軍服のようには見えない。
ブリキの人形のような堅苦しい仕草は、既に彼のものではなくなっていた。
氷河は、この二ヶ月で、すっかり現代の日本男性のセンスというものを身につけてしまったらしかった。

もっとも、外見や態度が変わったからといって、中身までが“現代日本”に侵食されたというわけではないようだった――なかった。
ふいに瞬の許に舞い戻ってきた氷河は、常識的な日本の成人男子ならば決してしないだろうことを、瞬と紫龍の前でしでかしてくれたのである。

すなわち、通された居間の床に突然正座したかと思うと、頭を床に擦りつけ――つまりは土下座をして――氷河は、
「瞬、俺のところに来て、俺と一緒に暮らしてくれ!」
と、大音声でがなりたててみせたのである。

「戸籍、住居、経済力を手に入れた。これなら、瞬を迎えることも許されるのではないかと思う。瞬、俺のところに来てくれ!」

瞬の様子を心配して瞬の家を来訪中だった紫龍は、突然切り出された氷河の瞬への求婚――としか言いようがなかった――に、度肝を抜かれてしまったのである。
が、紫龍は、そんなことくらいで驚いてはいられなかった。

紫龍を更に驚愕させたのは、氷河の求婚――以外の何ものでもない――への、瞬の答えだった。
瞬は、座りかけていたソファを脇に押しやって、氷河の前に膝をつき、土下座している氷河の手をとったかと思うと、
「戸籍や家が何だって言うの! 戸籍も家もお金も持ってなくても、僕は氷河が大好きだったのに……!」
と、半泣きで訴え始めたのである。

常軌を逸した同性からの求婚を、『僕は男です!』と拒絶するものと思っていた瞬のその言葉は、紫龍には青天の霹靂以外の何ものでもなかった。

「髪結いの亭主のように、瞬の世話になっているのは、男子の沽券に関わる。無一文の根無し草に、人を好きだと言う資格はない。それを手に入れるには、こうするのがいちばんだと、紫龍に助言されたんだ」

確かに、氷河に、権利の回復にはマスコミを利用するのがいちばんだろうと入れ知恵したのは紫龍だった。

「氷河ったら、ほんとに古いんだから」

そして、それは、入れ知恵した紫龍が想像していた以上に、うまくいった。

「そういうとこも好きだけど……」

うまくいきはしたのであるけれども。

「心配したのに……! 氷河は僕のことなんかどうでもよくなっちゃったんだって思って、すごく悲しくて寂しかったのに…… !! 」

紫龍は、そう言って泣きじゃくりながら氷河の胸に飛び込む瞬の図など、想定してもいなかったのである。





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