「そんなことがあるはずがない。瞬は、言わなくてもわかってくれているのだとばかり――」
「そんなの、古くて勝手な理想論だよ! 言ってくれなきゃ、僕、わかんないよ!」
「そうなのか? では、これからは、必ず言葉にすることにしよう」

氷河が――60年前の青年が――、至極当然のことと言わんばかりの態度で、自分の胸を涙で濡らしている瞬の肩を抱きしめる。

事ここに至って、紫龍はやっと我に返ることができた。

「ちょちょちょちょちょっと待てっ!」
すっかり二人だけの世界に浸っている氷河と瞬の間に、紫龍は割って入ろうとした。

「氷河! おまえ、一方的に瞬の世話になっているのが辛いとか何とか言っていなかったか? ひとりの人間として対等に瞬の前に立つ方法はないかと訊かれたから、俺は、マスコミを利用するのがいいと助言してやったんだ。おまえが瞬に惚れてるなんてことは、俺は一度も聞いてな――いや、それより、おまえ、わかってるのか !? 瞬は、こんな顔をしていても、れっきとした男なんだぞ!」

「この手の愛情交歓は、日本古来の武士のたしなみと聞いている」
「武士のたしな……あのなー……」

それは、いくら何でも時代を遡りすぎたこじつけである。
呆れ果てている紫龍の前で、氷河は、瞬の肩を抱いたまま、すっくと立ち上がった。
そして、言った。
「俺は、瞬の人生に一切の責任を負う。俺には瞬が必要だ」

とりあえず、氷河の中にはまだ、古い――古き良き時代の――日本男児の気概と責任感だけは残っているらしい。
しかし、これは、責任感以前、倫理と道徳と自然科学の問題である。

「一輝が――瞬の兄貴が帰ってきたら、何て言うか……」
もっとも、紫龍には、世間がこの二人をどう思うかということよりも、瞬の兄がこの事態にどれほど激昂するかということの方が大問題だったのだが。

「現代の日本では、家族主義はほぼ崩壊し、家長の意思よりも個人の意思と権利が尊重されるようになっていると聞いた」

「…………」
自分に都合のいいところだけ現代人化している氷河に、紫龍は、そろそろ疲労感を感じ始めていた。

「わかっているのか。貴様は本当は80近いジジイなんだぞ」
「瞬を満足させてやるくらいの体力はある」

真顔できっぱりと言い切る氷河に、紫龍は、激しい目眩いを覚えた。
どうやら氷河は、本気で、瞬との間にそういう関係を構築しようとしているらしかった。

「本気か」
「自分の人生がかかった場面で冗談を言う趣味はない」

その胸にしっかりと瞬を抱きしめて、氷河が断言する。
瞬は瞬で、やっと帰ってきてくれた異邦人を金輪際離すものかと言わんばかりに、ぴっとりと氷河にくっついていた。

「お……おまえの人生はそれでいいかもしれないが、俺の人生はどうなる !? 」

一輝が帰ってきた時のことを思うと、紫龍は絶望的な気分にならざるを得なかった。

瞬を責めることのできる一輝ではない。
そして、この奇天烈な価値観を持った金髪男に、常人の理屈は通じない。

となれば、一輝の怒りの矛先は、華麗なる監督不行き届きしでかしてくれた旧友に向けられることになるに決まっているのだ。





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