「……でも、だったら、僕はどんなことを願えばいいの」

瞬には、自分がひどく無力な存在のように思えてきていた。
せっかく尋常では考えられない大きな力を与えられたというのに、人のために何をしてやることもできない――。
これほど悲しいことがあるだろうか。

もしかしたら、この世で最も悲しい存在は、“神”という存在なのではないかとさえ、瞬は思ったのである。

「自分のことだろう」
瞬の切ない気持ちをわかってくれているはずの氷河が、至極あっさりと言う。

「そんな……。うまくすれば、全世界を良い方向に変えることだってできるかもしれないのに、自分のことなんか願ってどうするの」

「…………」
瞬は、すっかり気落ちしてしまっている。
氷河は、言いたい放題をしすぎたかと、少しばかり後悔し始めていた。

「しかし、そんなもんだぞ。3つの願い事なんて、わりとポピュラーな話だが、誰もおまえみたいに大胆なことを願った奴はいない」

意識して軽い笑みを作りながら、氷河は、瞬が掛けているソファの向かい側にある肘掛け椅子に腰をおろした。

「ドイツの暦話か何かに、3つの願いを叶えてやると言われた若い夫婦の話があったぞ。最初に、妻が『ソーセージがほしい』と言うんだ。せっかくの願い事をそんなくだらないことに使われて怒った夫が、そのソーセージが妻の鼻につけばいいと願って、当然3番目の願いは、その鼻にくっついたソーセージを取ることに使われた」

「氷河、僕を馬鹿にしてる? いくら僕が迂闊でも、僕はそこまで馬鹿な願いは──」
瞬の反駁を、氷河は遮った。

「千夜一夜物語にもあるぞ。ナニが小さいことを気に病んでいた男が、デカいものが欲しいと願うんだ。だが、馬鹿みたいにデカすぎるものをつけられて困った男は、今度はそれを取っ払ってほしいと願う。願い叶って、すっかりモノがなくなって慌てた亭主は、元のナニを戻してくれと願って、終わり」

「な……ナニって何のこと」
真っ赤になって俯いた瞬を見て、たとえ誰にも知られないとわかっていても、瞬にはそんな願い事を口にすることはできないのだろうと、氷河は内心で苦笑した。

「そういう話のお約束の結末は、結局、願い事をする前と同じ状態に戻るってことさ。そして、それが『めでたしめでたし』でもあるということだな」
「それはただの寓話でしょ」
「寓話には寓意が込められているものだぞ」

「…………」
氷河にそう言い切られて、瞬は口をつぐんだ。

そうなのかもしれない、と思う。
超常的な力で世界中の不幸や悲惨が消えるのなら、非力な人間が必死に生きていることの意味は失われる――のだ。

「まあ、世界をどうこうしようなんて考えないことだな。おまえの不用意な一言が人類を破滅させるかもしれないんだから。どうしても願い事をしたいのなら、もっと個人的で可愛い望みを言うことだ。美味いものが食いたいとか、新しい服が欲しいとか。それくらいなら、大した害もないだろう」

「でも……」
瞬には、そんな願いは、願うほどのことでもないような気がした。

だが、そうまで言われてしまうと、確かに迂闊なことは願えない。
瞬は、困ってしまった。
困って、氷河に尋ねた。

「氷河だったら、何を願うの」

「俺か?」
瞬に尋ね返された氷河が、今度は戸惑う番だった。
一瞬、胸中に浮かんだ“願い事”をすぐに打ち消して、氷河は、瞬をじっと見詰めた。

「氷河?」
「あ、いや――」

瞬に不思議そうな顔を向けられて、慌てて首を横に振る。

氷河の願いは、瞬に自分を好きになってほしいという、その一事に尽きた。
だが、その願いは――。

「俺の今のいちばんの願いは――超自然的な力で叶えられたりしたら、ありがたみも何もなくなるような願いだ。その願いが、自分の力でないもので叶えられてしまったら――」

本当に自分自身が瞬に好かれてるのか、もしかしたら単に魔法で好かれているだけなのではないかという疑心暗鬼を生み、たとえ瞬を手に入れることができたとしても心は安らがず、満足を得ることもできないだろう。
氷河は、そんなことで瞬を手に入れ、そしてまた、瞬を失いたくはなかった。


「氷河? どうかした?」
「いや、何でもない。言ったろう。俺のことは俺に任せておけ」

氷河のつれない返事に、瞬は少しばかり――否、かなり――がっかりした。
瞬は、全人類のためになることが無理なら、せめて氷河のためになることを願いたかったのである。





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