僕が目覚めた場所は、病院ではないようだった。 城戸邸でもない。 氷河に尋ねると、そこは、心身に障害を負った人たちが日常生活を送れるようになるまでの訓練をするための施設で、いわゆるリハビリセンターの一画にある建物だということだった。 他の入所者のほとんどが四肢に障害を負った人で占められていて、僕は、沙織さんのたっての頼みで、特別待遇での入所が許されたのだそうだった。 聖闘士だということもあるのだろう。 僕がいるのは、他の患者さんたちからは隔離された特別の別棟で、センターの敷地内にあるコテージのようなものだと、氷河は説明してくれた。 確かに、そこは、普通の住居――マンションか何かの一室のようだった。 部屋が3つあった。 僕の病室と、ダイニングルームを兼ねたリビングルーム、それから、付き添い人のための部屋。 バスルームやキッチンまであって、すっかり普通の生活ができるようになっている。 もっとも、僕がそれを自分の手と足で――目ではない――確かめられるようになったのは、僕が光を失って1週間以上が過ぎてからのことだったんだけど。 その時に――僕が光を失った時に――、僕のいちばん側にいたのが氷河だったらしい。 僕を庇えなかったことに責任を感じているのか、氷河は、つきっきりで僕の世話をしてくれた。 こっちがバスルーム、冷蔵庫はここ、チェストは部屋の左壁にある。慣れるまでは、何かあったらすぐに俺を呼べ――そんなことを、僕が闇の中で戸惑うたびに、氷河は穏やかな声で言ってくれた。 仮にも僕は聖闘士だ。 だから(というのも変な思い込みだけど)、目が見えないことくらい、すぐに克服できるだろうと、最初のうち、僕はたかをくくっていた。 身近に紫龍という先達(?)もいたし。 でも、きっと紫龍はおそろしく勘がいい人間なんだ。 視力を失ってから、僕は失敗ばかりしていた。 人の気配――氷河の気配――は感じられても、僕は、ものの気配を感じることができなかったんだ。 テーブルにぶつかって痛い思いをしたり、開いていると思っていたドアに正面衝突したり、コンセントに足を引っかけて転んだり。 僕は、そんなことを飽きもせずに繰り返すことになった。 大きな家具の位置はすぐに覚えたけど、場所が固定されていないものには、いつも失敗させられてばかりいた。 クッションに躓いて転んだり、テーブルの上のグラスを倒したり、何かを捜すために、関係のないものを散らかしたり、壊したり。 目が見えないことが、こんなに不便なことだったなんて、それまで僕は全然知らずにいた。 お風呂に入っていて、シャンプーが置いてあるはずの棚に手を伸ばし、その棚に載っていたものを全部、バスルームに撒き散らしてしまったこともあった。 その時には、物音に驚いた氷河が駆けつけてきてくれて、その惨状に呆れたのか、なんと氷河が僕の洗髪を手伝ってくれた。 実際、僕は、氷河の手を借りるしかなかったんだ。 僕には、シャンプーとボディシャンプーの区別もつかなかったから。 「子供みたい」 「いやか」 「ううん」 情けないと思わないでもなかったけど、それはなかなか楽しい“遊び”ではあった。 自分の目が見えないせいか、氷河に裸身をさらしていることを、僕は恥ずかしいとも思わなかった。 僕は、不思議に、自分が視力を失ったことを嘆かなかった。 命を失うことに比べたら、それは些細な喪失だし、なにより、氷河が優しかったから――優しくしてくれたから。 |