「で?」
数分間の白い時間を過ごして、なんとか気を取り直すことのできた氷河が、瞬に尋ねる。

「で? って?」
瞬は、そんな氷河に反問した。

「どうして、おまえは、急に男らしさなんかを追及し始めたんだ?」
なにしろ、瞬のキャッチコピーは、
『君に会えてよかった。君は猛々しいだけが男らしさではないということを教えてくれた( (c)週刊少年ジャンプ '88.27号)』
である。
瞬の男らしさは、世間一般の男らしさとは異なっているものと、相場が決まっているのだ。

「…………」
瞬は、しばらく言い渋っていたのだが、やがて観念したように口を開いた。

「……女の子に間違われたんだ」
「いつものことじゃないか」
あっさりと、氷河が受け流す。
瞬は、ムッとなった。

「でも、おとといはひどかったんだよ! 僕、おととい、そろそろみんなの秋物の準備しなきゃなーって思って、買い物に行ったんだ」
「ひとりでか?」
氷河は瞬に誘ってもらえなかったことに不満を覚えたらしかったが、今度は瞬が、氷河の不満を、
「氷河、買い物嫌いじゃない」
の一言で受け流した。

「で、電車に乗ってたら、子供連れのお母さんが乗ってきたんだ。そのお母さんが連れてた男の子がドアのとこで転んじゃって、だから、僕、助け起こしてあげたんだよ。そしたら、そのお母さんが、僕に礼を言って、それから『タカシちゃんも、お姉さんにお礼を言いなさい』って……」
「礼儀に適ってるじゃないか。今時、人に親切にされても、礼すら言わない奴が多のに。保護者だけが礼を言って終わるんじゃなく、本人に礼を言わせるのもいいことだ。いい躾をしているな」

「…………」
瞬が問題にしているのは、そういうことではなかった。
瞬が問題にしているのは、その母親が、『お姉さんにお礼を言いなさい』と言ったことであり、躾の行き届いたタカシちゃんに、
綺麗なお姉ちゃん、どうもありがとうございます」
と、お世辞つきで丁寧な礼を言われたことの方だったのだ。

「……デ……デパートに行けば、店員さんにピンクのミニスカート薦められるし、帰りの電車では、どっかのお兄さんがお茶に誘ってくるし、駅を出たら、そんな大荷物を抱えていたわけでもないのに、知らないおじさんが『お持ちしましょうか』だし――僕、そんなに非力な女の子みたいに見える?」

「…………」
ここで、『見える』と本当のことを言ってしまわないだけの分別を、とりあえず、氷河は持ち合わせていた。

「それで、ちょっと落ち込んで帰ってきたら、今度は沙織さんが――」
「沙織さん?」
意外な登場人物の名を聞いた氷河が、僅かに瞠目する。

「うん……。沙織さんが、なんか、兄さんに用があったらしくって、どこか目立つところで、誰かに苛められてくれないかって、僕に言ってきたんだよ……! そりゃ、僕、いつも兄さんに助けられてばかりいるかもしれないけど、兄さんが来ない時には、ちゃんと自分で闘ってきたのに……!」
それは沙織の冗談だったのだろうが、そんな冗談をアテナに言われてしまった瞬の立場も微妙である。

「あやややや」
少々同情したように、星矢が素頓狂な声をあげ、氷河は、
「まあ、誰もが考える手だな」
と、極めて冷静かつ客観的な判断をくだした。

瞬にぎろりと睨まれた氷河は、慌てて前言を撤回することになったが。
「あー、それは災難だったな」
「災難の一言で済ませる気?」
瞬の睥睨は、無論、それくらいでは引っ込んでくれない。

「しかし、まあ、それはおまえの個性だし、それで誰かが迷惑を被っているわけでもないんだから――」
ウーロン茶が飲みたい一心――というわけでもないだろうが、紫龍が二人のとりなしに入る。

瞬自身が被っている迷惑を完全無視したその物言いに、瞬はかえって柳眉を逆立てた。
「個性は変えられるものでしょ! だから、僕は、男らしく強く見えるようになろうって思ったんだよ!」

「変えなくていい個性じゃないか。それは、おまえの欠点でも何でもないし、おまえは実際、可愛くて、神経細やかで気が利く。不細工で、無神経で、鈍感な馬鹿よりずっといい」
紫龍の後を引き受けた氷河の説得も、

「でも、“女の子みたい”よりは、“男らしい”の方がいいでしょ! 僕は男なんだから! 属性に即してないよ!」
もちろん、即座に撃破された。

しかし、紫龍と氷河の波状攻撃は続く。
「“女の子みたい”が注意が行き届くことで、“男らしい”が愚鈍なことだとしたら、“女の子みたい”の方が褒め言葉だ」
「“女の子みたい”だの“女らしい”だのより“男らしい”の方がいいなんて主張は、性差別だぞ」

とどめが、星矢の、
「それで、急に足をおっ広げたりしたのかー。氷河以外もOKになったのかと思って、心臓が止まりかけたぜ!」
――だった。

氷河は、手加減なしに、星矢を殴り飛ばした。






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