「俺に幸せになってほしいのか」
氷河が尋ねると、瞬は、素直な子供のように、こくりと小さく頷いた。

「俺は今、幸せだぞ。おまえがいるから」

「僕は、“今”、生きてないの。今、氷河と話をしているのは、実体のない僕の“思い”なの……」
それは、瞬の無念であり、未練でもあるのだろう。
もしかしたら、負い目でもあるのかもしれなかった。

「俺は幸せだ。おまえがいるから」
氷河がもう一度、同じ言葉を繰り返す。
その言葉を聞くと、瞬は、はらはらと、透き通るような――まさにそれは質量も熱量もなく透き通っていた――涙を零した。

「おまえがそういうことをして、何か変わったのか? 何も変わらなかったんだろう?」
その命を失ってしまってからも、自分を思ってくれている者を責めるつもりは、氷河にはなかった。
だから、氷河は、意識して、口調を優しいものに変えた。

「過去の僕を“今”に連れて来て、“今”でどれだけ時間を過ごしても、過去の僕は、自分の時間に戻ると、“今”あったことを忘れてるの。“今”で過ごした時間は、過去の僕にとっては、一瞬にも満たない時間で――それは僕自身にもどうすることもできなくて……」

つまり、瞬のしたことは、サブリミナル効果にもならなかった――ということなのだろう。
「変わらない……変えられなかった……。過去の僕も、過去の氷河も、今の氷河も……」

「過去は変えられないさ」
それは、嘆く必要もないことなのだと諭すように、氷河は瞬に告げた。
実際に、過去は、誰にも変えられないものなのだから。
だからこそ、人は、後悔というものをするのだ。

「おまえはこの手のことに関しては奥手すぎたし、俺は俺で、とてつもない馬鹿者だった。時間はいくらでもあるのだと思っていた」

氷河は今、確かに不幸ではなかったが、そこに後悔がないわけではなかった。
ただ氷河は、いつまでもその後悔に捕らわれていることができなかったのである。
瞬を愛し続けることの方が、後悔し続けることよりも、氷河にははるかに容易なことだった。

「あの頃の俺に、今の俺ほどの分別があったなら、すぐにでもおまえに自分の気持ちを打ち明けて、さっさと押し倒していたのにな」
微笑して、自身の後悔を瞬に告げる。

「氷河……」
瞬は、切なげな眼差しを、“今”を生きている男に向けた。






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