「あなたの描きたいものは、あれ、なんですか? 普通は、人気があって、売れるものの方に流れませんか?」
「裸婦像は糊口をしのぐためのものと割り切っている」
「そんなの、かわいそう」
「なに?」

理解は欲しいが同情はいらない。
俺が自ら孤高を気取っているのは、そんな安っぽいものを求めているからじゃない。
俺は、初めて、瞬の言葉に明確な不快感を覚えた。
それは――俺の勘違いだったが。
瞬は、俺を『かわいそう』と言ったのではなかった。

「あなたの絵のモデルを務めた人たち……きっと、あなたに恋してるのに」
「どいつもこいつも、名を売るために必死になっているだけだ」
「最初はそうだったとしても、あの白い風景を描いた画家の目で見詰められたら、誰だって夢見心地になって、恋をしてる気分になるに決まって――あ」

その目が、今見詰めているのが誰なのかに気付いたらしく、瞬は、ほんのりと頬を上気させ、そして、言葉を途切らせた。

「ご……ごめんなさい、勝手な推測……。誰かを好きになるのって、そんなふうなのかなぁ……って思ったから……」
俺は、そんなに瞬を凝視していたつもりはなかったんだが――いや、俺はやはり見詰めすぎるほどに瞬を見詰めていたらしい。

俯いてしまった瞬の顔を上向かせるために、俺は別の話題を持ち出した。
「――同じ風景画でも、D.I.のような作風の絵は売れているし、評論家や展覧会での評価も上々のようだが、俺のはさっぱりだ。あの小市民風のありきたりな絵のどこがいいのか、俺にはまるでわからないんだが」

『D.I.』というのは、若手の中では、俺と並べられて比較されることが多い画家の号だ。
もっとも、D.I.が本当に若いのかどうかを、俺は知らなかったが。
D.I.は、それこそ正体不明の画家だった。
どこかの道楽親父なのだろうと、俺は思っている。
D.I.がなぜ評価されるのか、俺にはまるでわからなかった。

D.I.は、おそらく副業を禁じている会社に勤めている週末画家か何かなのだろう。
作品数も極端に少ない。
もっとも、その売れ具合いと、つけられる値段から察するに、その懐には、なまじな会社員の給料なんかより多額の金が転がり込んでいるに違いなかったが。

俺が認められない分野で認められている幸運な画家へのライバル心が、俺の中にはあった。
否、それは、ライバル心というより、むしろ妬みとひがみだったかもしれない。

俺が瞬にD.I.の話を振ったのは、その場を取り繕うためでもあったが、俺が見下している画家を、瞬はどう見ているのかという興味を抱いたせいでもあった。

「ああ、あの絵……」
瞬が、小さな吐息と共に呟く。

「君は、ああいうのは好きか」
俺は少しばかり――いや、多大に、瞬の否定的な評価を期待しながら、瞬に尋ねた。
瞬が、苦笑めいた笑みを、その口許に刻む。

「あなたは、あなたの心象をそのまま絵にしているでしょう? D.I.の絵は、その先にある憧れを描いているんですよ。だから、心弱い人間にも受け入れられやすいんだと思います」
「…………」
瞬の答えは、否定的でも肯定的でもなく、実に客観的なものだった。


俺は――実を言うと、D.I.の絵をまともに見たことがなかった。
あのあまりにありふれた明るい風景画を真剣に見ることを、俺のプライドが邪魔していたのかもしれない。
が、瞬の冷静な評価を聞いて、俺の中にD.I.の絵を虚心に見てみようという気持ちが湧いてきた。
瞬の言葉や表情には、不思議に、対峙する人間の心を穏やかにする力があった。

「今度、じっくり見てみることにする」
「それもいいと思います。あ、じゃあ、僕はこれで――」

瞬は、本気で、俺の“用件”がモデルの依頼だったのだと思っているらしい。
用事は済んだという様子で席を立った瞬を慌てて引き止めて、俺は、俺の本当の用件を瞬に告げた。

「また会ってくれないか」
それこそが俺の本当の“用件”で、かつ、今の俺のただひとつの願いだった。
瞬に会うこと。
できれば、これからもずっと。
それだけが。

「僕は……」
「モデルは諦める。絵の話を──絵の話をしたいんだ」
「…………」

その時、俺はよほど必死の形相していたに違いない。
ここで肘鉄を食らわせて、俺にストーカーになられても困ると思ったのか、瞬は困ったように微笑って、それでも、もう一度俺と会う約束をしてくれた。






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