瞬との会話を弾ませるためだけに、俺はD.I.の絵を見に行った。

寡作なD.I.の絵を扱っている画商は少なかったが、中でも新作を扱っているのはただ一店きり。
そこの主人――といっても、俺と大して歳の違わない若造だが――が、たまたま俺とも付き合いがあった。
同じ芸大を、同じようにバイトしながら出て、同じように両親がない。
俺の風景画を扱ってくれる唯一の画商でもある。
奴は、どこぞの養護施設で育ったらしい。
新規参入の難しいこの業界で成功を収めた立志伝中の人物と自称していた。

ともあれ、そいつのツテで、俺は最も最近のD.I.の絵を2、3作見ることができた。
そして、俺はすぐに、自分の誤解に気付いた。

真剣に見ると、D.I.の絵はとてつもない作品だった。
それは、確かに、俺の描く絵の先を歩んでいるような絵で、俺の絵が、寂寥感や孤独を訴えるものなら、D.I.の絵は、そんな寂しい絵を描く者に救いの手を差し延べているような絵だったんだ。
その風景が美しければ美しいほど、色彩が暖かければ暖かいほど、画家が強い人間なのだということがわかった。
あるいは、孤独を克服した人間なのだということが。

この画家は、もう今は満たされているのだろうか。
それとも、まだ飢えていて、その憧憬を絵にしているのだろうか。
そんなことを、俺は思った。






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