俺が、それをビエンナーレへの出品作として世間に公開すると、マスコミ連中は1ヵ月もエサにありついていなかったピラニアのように、俺の撒いたエサに食いついてきた。

それはそうだろう。
それまで絵画ばかり発表していた俺が、初めて発表した彫刻。
しかも、モデルが年端もいかない少年で全裸。
寝台に仰臥し、ベルニーニのルドヴィカ・アルベルトーニばりの恍惚とした表情を虚空に向けている図となったら。
おまけに、そこに、俺の願望が重なって、大理石像の瞬は、魂と肉体が一つになった法悦そのもののていを示している。

それは瞬を探すためのものだったから、もちろん、俺は、像を瞬そっくりに創った。
ただ瞬の姿を石に写し取ることだけを考えた。
理想が現実のものとしてそこに存在するのに、作為を加えるのは自然への冒涜というものだろう。

瞬の姿は、俺の目に焼きついている。
モデルが目の前にいないことは、制作の障害にはならなかった。


頭の堅い画壇の連中は相変わらずだったが――年寄りには、俺の制作した瞬の像は刺激が強すぎたんだろう――体力勝負で若手が多い造形美術家たちに、瞬の像は概ね好意的に受け入れられた。
それは、像の出来がいいと言うよりは、モデルがいいだけの作品だったが、俺が初めて、何かを求めて創った作品でもある。
認めてもらえることは嬉しかった。

もっとも、マスコミ連中は、そんなことよりも、俺が同性愛嗜好者なのではないかという推測と検証に盛りあがっていたが。

だが、最も世間の関心が向けられたのは、やはり、その像のモデルが誰なのかということだった。
俺は、『彼を探してくれ』と、これまで軽蔑しきっていた社会というものに向かって懇願した。
行きずりの少年をモデルにして制作したが、像が出来上がった時、彼は姿を消していた――とか何とか、適当なメロドラマを作りあげて。

瞬の像と一緒に、俺は、テレビ・雑誌に出まくった。






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