瞬がタクシーをとめたのは、小さな教会の前だった。
幼稚園か保育所が併設されているのか、子供の声が聞こえる。

「施設内で、牧師様が、親のない子を引き取って面倒を見ているの」

牧師というからには、プロテスタントの教会なんだろう。
なるほど、それは、ほとんど装飾のない質素な教会だった。

「来て」
瞬が、隣接されている居住区ではなく、扉の上に小さな十字架のある古い建物の方に、俺を誘う。

質素というより古ぼけた木の椅子が並ぶ礼拝堂の講壇の後ろの壁に、一枚の絵が掛けられていた。
神の似姿を禁じているプロテスタント教会の壁にあるそれは、もちろん宗教画ではない。
風景画だった。

見覚えがある――どころか、例の画商のところで見て以来、忘れることができずにいたD.I.のタッチと色彩。
横3メートル、縦は2メートル弱ある大作だった。

冬と春の融合とでもいうようなその絵を視界に映した途端、初めてD.I.の絵を見た時に感じた暖かさが、俺の胸の内に満ちてきた。

それは、左から右へと移っていく冬の風景と春の風景だった。
中央上段に、天から指し示された神の手が、幻のように淡い色彩で描かれている。
雪が、春をもたらす神の手に触れて、白い花へと変化していた。

旧来の概念では、それは宗教画と呼べるものではないだろう。
だが、その風景画は究極の宗教画だった。
そして、それは同時に人物画でもあった。
人の姿はどこにもないのに、そこには、春という季節を受け入れようとする人間の姿が描かれている。

しばし陶然としてその絵を眺めていた俺は、ふいに、なぜこの絵がここにあるのかという疑問にぶち当たった。
しかも8割方出来上がっているが、この絵はまだ完成していない。

「シドニーのビエンナーレ、僕も出品するの」
「なに…… !? 」

俺は、この時ほど、自分を馬鹿だと思ったことはない。
瞬自身が絵を描くという可能性に、なぜ俺はこれまで思い至らずにいたんだろう。
そして、瞬が絵を描いたら、それは当然、
「おまえが、D.I.……?」
D.I.の絵になる――。

瞬は全身から力を抜くような所作で、俺に頷いた。
「『D.I.』は、画家のイニシャルでも何でもなくて、“ Divine Intervention ”――『神の手』の略だよ。僕は、この教会の孤児院で神の手に育てられたから」

それで、俺はわかった。
瞬が、虚無にも似た俺の白い絵を理解してくれた理由と、D.I.の絵の持つ暖かさの訳。
そして、瞬が――いや、D.I.が――慌てている訳も。

D.I.がビエンナーレのために制作していた絵は、
「あの像のために描かれた絵としか思えないな」
――そういう絵だった。


D.I.の描いた絵の正面中央に、瞬の像を置くと、D.I.の描いた絵の神の手は、ちょうど瞬の像の胸の上にくる。
そして、神の手が、瞬に春を運んでくる図が綺麗に出来上がるんだ。
神の手が、白い冬の世界と、瞬の許に、春という生きることの喜びに満ちた季節をもたらす絵が。

D.I.の絵は、その大きさもモチーフも、瞬の像の背景にあまりに合致しすぎていた。

「これじゃ、示し合わせて作ったみたい。誤解されちゃう」
瞬の言う通りだった。
ビエンナーレの総合プロデューサーには、この二つの作品を同じフロアに展示するように指示しておかなければならないだろう。
いや、指示なんかしなくても、まともな判断力のあるプロデューサーなら、そうするに決まっている。

「誤解じゃないだろう」
二つの作品は同じ思いで創られたのだと、俺は思いたかった。






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