「だ……誰?」
ほとんど反射的に尋ね返した瞬に、氷河は答えを返してよこさなかった。
「それは言えない。振られたら、気まずいじゃないか」
「氷河を振る人なんていないよ」

「…………」
瞬が何を根拠にそんなことを言うのかが、実は、氷河にはわからなかった。
瞬にそう思ってもらえていること自体は、嬉しくないわけではなかったのだが。

「いないと言い切ることはできないと思うが」
「それは……絶対にいないって言い切ることはできないかもしれないけど……。もしかして、氷河の好きな人って、もう誰か決まった人がいる人なの」
「いないと思っている」
「じゃあ、早く打ち明けて、しっかり氷河のものにしなくちゃ」

こういう相談事を持ちかけられた側の人間として、それは実に妥当な言動だと思いつつも、瞬に笑顔で激励されてしまったことに、氷河は勝手にひとりで傷付いた。
そして、口許を微妙に歪ませた。

そんな氷河に、瞬が不安そうな目を向けてくる。
「どうしたの?」
「あ、いや……。あー、つまりだ。俺は人に惚れたのはこれが初めてで、自分から告白なんてものをしでかしたことがないんだ。こういう場合、普通はどう言うものなんだ?」
「どういう……って、そりゃ、『好きです、付き合ってください』とか――」
「それだけでいいのか」
「え?」

『それだけでいいのか』と問われると、瞬としても答えに窮する。
確かに、それだけで事が済むなら、恋で悩む人間など、この世に存在しなくなるに違いない。

「ん……と、その人が興味持っていそうなことに誘ってみるとか、何かプレゼントをあげてみるとか――なのかな。ごめんなさい、僕も経験ないから、よくわかんない……」
瞬が自信なさそうに顔を伏せると、氷河もまた沈んだ口調で、それを受ける。
「そうか……」
そして、氷河は、そのまま瞬の部屋を出ていこうとした。
「悪かったな」

「あの……」
自分が仲間の相談相手として頼りにならないと判断されることは仕方がないとしても、それで氷河を落胆させたまま、この件から手を引くことは、瞬にはできなかった。
『何でも相談に乗る』と、瞬は氷河に請け合ったのだ。

「僕、じゃあ、経験ありそうな人に聞いてきてあげる」
「そういうことは、俺自身がすべきことだろう」
「で……でも、当人じゃない方が、恥ずかしがったりせずに聞けるとこあるでしょ。大丈夫、僕に任せといて!」

「そうか?」
瞬の確約の言葉を聞いても、氷河は、その表情の端々に不信感のようなものを漂わせている。
瞬は、氷河と自分自身を奮い立たせるために、精一杯の笑顔を作って、力強く頷いた。
「僕たち、仲間でしょ! 僕、氷河の力になりたいもの」

氷河が、瞬とは対照的に、あまり覇気の感じられない、形ばかりの微笑を目許に浮かべる。
「じゃあ頼む」
それでも氷河は瞬にそう言って、“相談事”の継続の意思を明示した。
どちらかというと、それは、自分の悩み事を解決するためというよりも、瞬の厚意を無にしないための言葉だったのかもしれない。
それが感じとれない瞬でもなかったのだが、瞬はとにかく氷河の力になりたかったのである。


部屋のドアが閉じられ、室内から氷河の姿が消えると、瞬は、両の肩から力を抜いた。
自分が氷河の前でひどく緊張していたことに、その時になって初めて、瞬は気付いた。






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