かなり長い間、瞬は何事かを考え続けているようだった。
その間、氷河は、針のむしろに座る思いで、瞬が時折見せる微かな表情の変化を凝視していた。


長い沈黙の後で、瞬がぽつりと呟く。
「僕……氷河が好きなのかな」

やっと気付いてくれたかと安堵して、氷河は内心で大きく頷いた。
無論、事実そうなのかどうかを知ってるのは瞬だけなのだから、氷河が、その通りだと言葉にすることはできなかったが。

「だから、氷河に好きな人がいるって言われた時、嬉しくならなかったのかな。泣けてきちゃったのかな」

氷河はひたすら胸中でこくこくこくこくと、首の骨が折れそうなほど幾度も首肯していた。

「一人になると涙が止まらなくて――瞳に傷でもついたのかと思って、眼科に行ったんだけど、お医者様には、どこも悪くないって言われたんだ」
「へ……?」

そうこうしているうちに、瞬の告白が、どこかピントのズレた方向に向かいだす。
氷河は、しばし阿呆のように呆けることになった。

「胸が苦しくて、息をするのも辛いから、呼吸器科でレントゲンも撮ってもらったんだけど、健康そのものだって」
「……瞬。その話、どこまでが事実で、どこからが冗談だ?」

「冗談?」
瞬が、真顔で問い返してくる。
瞬は至って本気らしかった。
本気で、それをしてのけたらしかった。

「いや、で、医者は何て言ってたんだ」
「特に変わったことはなかったかって聞かれて、友達に好きな人ができたって知らされた日から、こんなふうになったって言ったら──」
「言ったら?」
「お医者様が困ったみたいな顔して、それで、近くにいた看護士さんが笑って、湯の華──って言うの? 草津の温泉の素をくれた」
「ああ、そりゃ」
「あんまり効かなかった」
「治らないことになってるからな」
「そうなの?」

瞬は、あくまで真剣である。
氷河は、頷き疲れた内心で、大きく深い溜め息をついた。

これまで、アテナの聖闘士たちは――瞬は――闘いに継ぐ闘いの日々を過ごしてきた。
正義とはどういうもので、闘いにどんな意味があるのかということに悩んだことはあっても、平和とは何で、人類の幸福がどういうものなのかということを考えたことはあっても、瞬は、自分ひとりが幸福になるための方法や手段に考えを及ばせたことがなかったのかもしれない。

瞬自身の幸福や喜びが、人類全体の幸福の中に内包されていなければならないのだということを、瞬はこれまで知らずにいたのかもしれなかった。

いずれにしても、どう考えても、悪いのは瞬ではなく、氷河の方だった。
瞬にそれを気付かせることもできずにいたくせに、勝手に瞬の好意を信じて、呑気に自惚れていた自分がいちばん愚かだったのだと、氷河は、すべてを自分自身に帰することにした。
自分以外の誰かのせいで――それがたとえ瞬自身のせいだったとしても――瞬が泣くのは、氷河には我慢ならないことでもあったから。

「とにかく、俺が悪かった。何もかもすべて俺が悪い」
人を試すのも、恋の駆け引きに興じるのも、相手を見てからすべきだった。
氷河は、虚心に瞬に頭をさげた。

「僕は氷河が好きなの?」
そんな氷河に、瞬が不思議そうに尋ねてくる。

「おまえはどう思うんだ」
「僕は……氷河がいつも僕の側にいて、僕を見ていてくれたらいいなって思う」
「おまえがそうしてほしいのなら、そうする」
「ほんと」
「ああ」

瞬は、ぱたぱたと瞬きをして、それから、はにかむように微笑した。
「そうしてもらえたら、僕はきっとすごく嬉しい」

『すごく嬉しい』のは、実は氷河の方だった。

「でも、これから僕に何か相談する時には、そんな肝心のところをごまかしたりしないでね」

瞬の可愛らしい“お願い”に、氷河はやにさがって頷き、かくして、氷河と瞬の“お医者様でも草津の湯でも治せない病”は、とりあえずの快癒を見ることになったのである。






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