記憶を失っていることを除けば至って健康な瞬は、早々にグラードの医療センターを追い出され、城戸邸に戻ってきた。
ありふれた一般の家庭、一般の人間の住処すみかとは到底思い難い邸宅の、高い天井や磨き込まれた床や調度品を、瞬が物珍しげに見まわす。

「僕、こんなところで暮らしてたんですか?」
瞬が、こんな屋敷に起居していた自分という人間はいったい何者だったのだろうと訝っているのが、氷河には手にとるようにわかった。
それでも瞬は、事前に紫龍たちに聞かされていた説明を思い出して、その現実を現実として受けとめることにしたようだった。

現実を現実と認めてから、瞬は、少し気後れ気味に、氷河に尋ねてきた。
「ここに……あの、あなたと一緒に?」

瞬は、すっかり、氷河の言を信じているらしい。
当人がそう言い、星矢たち第三者がそれを否定しないのだから、それも当然のことではあったろうが。

瞬は、氷河を、自分にとって特別な存在なのだと信じ込んでくれていた。
そして、だから、氷河は、瞬のその思い込みにつけ込んで、甲斐甲斐しく瞬の世話を始めたのである。
邸内の案内をし、ここで暮らしていくためのルールを教え、何かにつけ不安そうな顔になる瞬を鼓舞し慰撫し──。
それは、星矢たちが驚き入るほど行き届き、かつ、まめまめしいものだった。

「氷河って、あんなに世話好きだったっけ?」
氷河の意外な一面を見せられた星矢が、大仰に目をみはってみせる。

紫龍は、薄い苦笑を浮かべた。
「俺たちが記憶喪失になっても、奴があんなふうに面倒を見てくれないことだけは確かだな。相手に、それを期待されてると思えば、遠慮なく世話も焼けるというもので──」
紫龍が、いったん言葉を途切らせる。
それから彼は、溜め息をつくようにしみじみした声音になった。
「──本当は、今までずっと、あんなふうにしてやりたいと思っていたんだろう」

「そっか……」
紫龍の言葉に、星矢が二度三度軽く首を振る。

「ま、いっか。おかげで、俺たちは病人の世話せずに済むんだし」
少しばかり残念そうにそう言って、星矢はもう一度、氷河と瞬のいる方を振り返った。






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