「“信じる”って行為にも、いろんな信じ方があるでしょう」
どうやらまだ明鏡止水の境地には至ることができていないらしい氷河の様子を見てとって、瞬は氷河の腕に自分の腕を絡めていった。

「信頼って、相手が、自分の期待通りのことをしてくれるかどうかの判断だよね。敵に向かい合った時、氷河が必ず勝ってくれるって期待するのと、勝つために力を尽くしてくれるだろうって期待するのとでは、信頼の結果が違ってくる。期待の仕方が違うと、相手は同じことしてても、裏切られたと思う人と、信頼に応えてくれたと思う人が出てくるの」

瞬は、そう言って、子猫がじゃれつくように、自分の鼻面を氷河の胸に押し当てた。
子供のように・・・・・・甘える自分の仕草を、氷河が喜んでいるのかどうかは、瞬にはわからなかったが、瞬はそうすることが好きだった。

「認めてもらえると思っていたのに認めてもらえなかった、許してもらえると思っていたのに許してもらえなかった、褒めてもらえると思っていたのに褒めてもらえなかった……。期待の仕方を間違えると、裏切られてばかりの自分が出来上がる。でも、それはある意味、自業自得だよね。人が裏切られるのは──裏切られたと感じる時は、大抵、自分の方が悪いんだよ」

氷河の匂いと体温とその鼓動を、五感で感じることが、瞬は何よりも好きだった。

「期待することが悪いことだっていうんじゃないけどね。人の幸福は、いつも希望と期待でできているものだから」
「何が言いたいんだ」

それまで、瞬に何をされても微動だにしなかった氷河が、初めて口を開く。
瞬は、目を細めて、彼の唇に指で触れた。

「僕は氷河を愛してる。裏切られても平気。僕は氷河が好きだから、氷河に過度に期待してしまう。それは僕自身にも止められない。でも、それは期待の仕方を間違った僕が悪いんだから、僕は氷河を責めたりはしない。どんなにひどく裏切られても、僕は氷河を愛してるよ」

「…………」
それが、瞬の言いたいことだったらしい。
そして、それは、瞬の“恋人”としては喜ぶべき言葉なのだろう。
恋人として、こんな寛大な言葉は他にはない。
だが、氷河は、瞬の恋人として存在すると同時に、瞬の信頼を得た“人間”でいたかったのである。

「俺がおまえの期待を裏切ったことがあるのか」
とりあえず、低く尋ねてみる。

途端に瞬が、拗ねたような声で訴えてきた。
「こないだ、一緒に映画に行こうって約束してたのに、氷河が僕をベッドから出してくれなかったせいで、出掛け損なったじゃない! 僕、すっごく楽しみにしてたのに!」

「…………」
突然、卑近を極めた裏切り例を持ち出されて、氷河は言葉を失った。
信頼とは、日々のささやかな言動の積み重ねによってのみ作り出されるものなのかもしれない──と、しみじみ思う。
その手の“期待はずし・・・”や“裏切り”なら、氷河はいくらでも身に覚えがあった。

返答に窮したらしい氷河の様子を見て、瞬がすぐに小さな笑い声をあげる。
「冗談だよ。氷河は、僕との大事な約束はいつもちゃんと守ってくれた。いつも、ちゃんと生きて帰ってきてくれた。それだけで十分。それが、氷河への僕の信頼と期待の全部だよ」

笑えない冗談である。
氷河は、だから、笑わなかった。
「──ならなぜ、信頼より愛情の方が勝っているなんてことを言うんだ」
「わからないの? 僕が氷河を愛してるからだよ」
「?」

わかったようでわからない──それが、氷河の本音だった。
が。
氷河の期待と信頼の基本と全ても、瞬と同じように、瞬に生きて側にいてほしいということだったから──氷河は、それ以上“子供”でいるのはやめることにした。

もしその期待が裏切られた時──瞬が“恋人”を残して死んでしまった時──それを裏切られたと感じるような期待と信頼は、確かに氷河の中にはなかった。
──それが、“愛”というものなのかもしれない。

「言いくるめられてやろう」
「ありがと」

瞬が破顔して、氷河の首筋にしがみついてくる。
瞬の身体の甘い匂いにくすぐられ、途端に氷河の大人・・が、また頭をもたげだした。






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