「たったひとりで、こんなところに暮らしているのは寂しいだろう。そろそろ意地を張るのをやめて、オリンポスに来ないか。エリシオンの核融合技術の資料室の鍵を手土産にすれば、オリンポスの神々も諸手をあげて、君を歓迎するだろう」
「僕は、ここで死ぬつもりです。エリシオンの最後の者として、ひとりで」

ハーデスはオリンポスの“悪戯”の話題を早々に切り上げて、いつもと同じ話を、いつもと同じように話し出した。
そして、瞬の返答もいつもと同じ、である。

「ひとりでいるから、そんなことを考えるんだ。オリンポスに来い」
「ご心配には及びません。あの資料や施設は処分します。あれが地上から消えてしまえば、あなた方も怖れるものはなくなるでしょう」

オリンポスが真に欲し、真に恐れているものが何なのかを、瞬は承知していた。
そして、それは、人間はもちろん、神にも渡してはならないものだということも。

「我々は、別にエリシオンを怖れているわけではない。だが、そこに力があるのなら、その力を欲しいと思うのは、当然のことだろう。我々は今よりももっと強大な力が欲しい。手に入れられるものは、すべて手に入れたい」
彼は、自らの貪欲を醜悪だとは、考えていないようだった。
それがオリンポスの神々の総意なのなら、決して核の知識を彼等に渡すことはできないと、瞬は思った。

「誰のものにもならないから諦められるというものではない。とにかく自分のものにしたいんだ。そうしないと気がすまない」
そう言いながら、彼は、黒い長衣をまとった腕を、瞬の首筋に伸ばしてきた。

「──怪我をしたいんですか」
その手を払いのけたいと訴える心を無理に抑え、なるべく穏やかな声音を発することを意識して、瞬は彼に警告した。

瞬は、手に、小型のエアショットガンを持っていた。
オリンポスの神々は、男女を問わない好き者が多くて、瞬は、彼等との面会時には護身用の武器を携帯するのが習慣になっていた。
会うたび、馴れ馴れしく瞬の身体に触れてくるのも、ハーデスに限ったことではない。
彼等が瞬の身体に触れたがる理由が、実のところ、瞬はよくわかっていなかったのだが。

「今日は、私も火器持参だ」
ハーデスは、瞬の忠告をせせら笑った。
そして、彼は、瞬を更に抱きしめようとした。

「離してください」

自分を抱きしめようとしている男の漆黒の瞳が視界に映った時、瞬はなぜか、氷河の空色の瞳を思い出した。
そして、より自分に近い立場にあるはずの“神”よりも、人間である氷河の方が、ずっと優しい色をその内に秘めていると思った。






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