オリンポスで瞬を最初に出迎えてくれたのは、アテナという名の女神だった。
瞬も、幾度か面識がある。
彼女は、少女のようでもあり、成人した女性にも見える、不思議な雰囲気を持った女神で、オリンポスの神々の中では最も──もしかしたら瞬よりも──人間に好意的な神だった。
瞬は、彼女が好きだった。

「本当にさらってきたのですか!」
ハーデスの腕に支えられて、かろうじて立っているような瞬の姿を認めるや否や、彼女は悲鳴にも似た声で、ハーデスを面責した。

「無体をしたのではないでしょうね !? 」
ハーデスの手から瞬を奪い取り、彼女は素早く瞬の全身に視線を走らせた。
怪我のないことを確かめてから、念を押すようにハーデスを問い質す。

ハーデスは、同胞の疑念に苦笑で答えた。
「あなたも、瞬をあんな場所にひとりで置いていたら、勝手に自裁してしまいかねないと、心配していたではないか。まして、あんな獣とふたりきりでエリシオンになど置けるか」
「獣?」
「人間の男を引き込んでいた。こんな清純そうな顔をして」

一瞬、虚を衝かれたような表情で、ぐったりしている瞬を見詰めてから、アテナは彼女の仲間に向き直った。
下種げすの勘繰りね。瞬に限ってそんなことをするはずがないでしょう。他人をご自分と同じレベルに引き下ろして考えるのはよくないわ」
「わかるものか。孤独の恐怖は、人にどんなことでもさせるものだ」

「…………」
それはアテナ自身も懸念していたことだったらしい。
ハーデスのその意見には、彼女は反駁しなかった。

「ともかく、瞬は私が預かります。あなたや、他の皆に渡したら、それこそ──」
その先の言葉は口にせず、アテナは、彼女より僅かに背の低い瞬に、諭すような口調で告げた。
「いい機会だから、しばらくこちらにいらっしゃい」

瞬が、首を横に振る。
そんなことはしていられなかった。
「僕、帰らなきゃ……。氷河、怪我をしてた。氷河は頑健だから……死……死にはしないと思うけど、でも、氷河はあの山で、どこに食べ物があるのかも知らなくて、もし見つけられたって、どうやって食べるのかも知らないのに……!」

エリシオンには、二人分ならば100年経っても余るほどの食料や飲料水の蓄えがある。
怪我や疾病に対処できる薬品も医療器具もあった。
しかし、氷河はそれらの利用方法を知らないのだ。
密閉容器の開け方、加熱器具の使い方、薬剤の効用──。氷河の世話をすることが楽しくてならなかった瞬は、それらのことを氷河には何も教えていなかった。

「氷河──というのが、瞬の選んだ仲間の名前なの?」
アテナは、“人間”の身を気遣って取り乱す瞬に、なぜかひどく温かい眼差しを向けてきた。

「仲間……?」
「それとも、お友だち?」
「…………」
問われて、瞬は、答えに窮した。

氷河は、いったい何者なのだろう?
生きることに貪欲で、強く、たくましく、その覇気が瞬を圧倒する“人間”。
仲間と言うには異質すぎ、友だちと言ってしまうには、氷河はあまりに強すぎた──瞬よりも はるかに。

そうではなく──氷河が強すぎるのでなく、自分が弱すぎるのだと思い直した時、瞬は、ふいに、悲しいほどの無力感に襲われた。






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