「で?」
ベッドの脇に腰をおろし、力無く瞼を伏せてしまった瞬に、氷河が肩をすくめて問いかける。

「それで、おまえは、人生の不公平に憤っているわけか? その女は、馬鹿げた修行を無理強いされることもなく、闘いも知らず、平穏無事な日常を送っているのに、自分のこれまでの人生は少しばかり波乱万丈すぎたんじゃないかと」

「憤ってなんか!」
そうと決めつけたような氷河の言葉に、瞬が食ってかかる。
が、瞬の反駁の勢いは、すぐにしぼんでしまった。

「憤ってなんかいないけど……そういう人もいるんだなあ……って」
そう小さく呟いてから、瞬は、膝の上で自分の右手を開き、その手の平を遣り切れない思いで見おろした。

憤っているわけではない。
自分の手に赤い染みがこびりついているような錯覚に苦しんだことなどないのであろうあの少女が、瞬はただ羨ましいだけだった。

「よくあることじゃないか。同じ日に同じ場所で生まれても、何をしてもうまくいかない奴もいれば、何もかもうまくいく奴もいる。一生遊んで暮らせる奴もいれば、朝から晩まで働いても食うに困る一生を送る奴もいる。それは、聖闘士とそれ以外の奴という違いに限ったことじゃない」
「よくあること……。そうだよね、うん」

その“よくあること”が、瞬は辛くてならないのだった。
自分だけが辛いのではなく、聖闘士だけが苦しんでいるのではないことがわかっていても。

「星矢も、以前、美穂ちゃんに泣きつかれて困ったみたいなこと言ってたね。同じような年代で、のんきに遊び暮らしている人たちもいるのに、星矢だけ闘いに明け暮れているのは不公平だって」

「…………」
氷河も、それは当人に聞いていた。
星矢は──彼の仲間たちと同じように、赤い染みを持っている星矢は──あっけらかんと笑いながら、仲間たちにその話を聞かせてくれた。
星矢が、幼馴染みの悲憤を、どう言って静めたのかも。

「運命って、やっぱりあるのかな。努力じゃどうにもならないこと」
瞬も、その時星矢の出した答えを聞き、知っているはずである。
『得られなかったものの代わりに、もっと価値のあるものを手に入れた』と言った、仲間の答えを。
氷河は、だからこそ──彼の出した答えを聞いたからこそ──、一見ただの一本気な能天気にしか見えない星矢を、自分の仲間として認めていたのだ。

「それはもちろんあるだろうが、おまえが、そんな気の毒な奴等に同情してやる必要はない」
「え?」
氷河の言葉に、瞬がふっと顔をあげる。
同情される側にいるのは自分の方だと思っている──思っていた──顔だった。

「誰もが俺たちと同じような経験ができるわけじゃない。俺たちが知り得たことは、誰もが知り得ることじゃない。俺たちは機会を与えられて幸運だった。他の奴等には知り得ないことを知ることができて、知らされて、そして、強くなれた」

「…………」
氷河の言わんとしていることは、瞬にもわかった。
しかし、瞬が知り得た“誰もが知り得ないこと”は、闘いの虚しさ、人の弱さ、悲しさ、愚かさ、苦しさ──そんなものばかりだった。
そして、人の悲しいほどの強さと、やりきれないほどの美しさ──そんなものだけだった。
それらのものは決して、知る・・ことを素直に喜べる類の事象ではない──ように、瞬には思われた。






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