「それは幸運なことなの……?」
むしろ一層気落ちして、瞬は氷河に尋ねた。

すがるような瞬の視線を捉えて、氷河が軽く頷く。
「まさしく、大いなる神の恩寵アメイジング・グレイスだろう。ま、多少の弊害もあるが」
「弊害?」

「俺は──そういうことを知らない奴とは付き合えない人間になったな。傷付くことも傷付けることも知らない人間は、傷の何たるかを知らないし、挫折を経験したことのない人間は、不運な人間の気持ちを推し量ることができない。そういう苦労知らずのめでたい奴等といると……疲れる」

「…………」
そのために、人間には想像力というものがあるのではないかと言おうとして、瞬はその言葉を口にするのをやめた。
実は、瞬がそうだったのである。
今日知り合ったあの少女といる時の瞬自身が。

話している内容は、星矢との他愛のない会話と大差ないものだったというのに、彼女の屈託のなさは、不思議に瞬を疲れさせた。
たとえば、あの少女は、自分の家を持たない人間がこの世に存在する可能性にさえ考え及ばない人間だった。
瞬は、そういう会話の進め方をされた。

「ま、そういう経験をしたことのない奴等に、他人への真の思い遣りを持てと言う方が無理な話なんだろうし、自分が経験していないことを想像力で補うにも限度があるだろうから、それも仕方のないことなんだろうが、な。そいつらが悪いわけではないが……そういう奴等とは、親密さや信頼を育めないような気がする」
瞬の反論を見越したように、氷河が言葉を継ぐ。

確かに、生きることの意味をほとんど知らない幼児と、人生の酸いも甘いも知り尽くした老人との間に、対等な友情を育むことは困難なことなのかもしれない。
そして、人は、互いに理解し合えないことに苦しむ──のだ。

「俺は、だから、おまえしか愛せない」
そう言って、氷河は瞬を抱きしめた。
氷河の唇が、瞬の襟足に触れる。

「星矢や紫龍や一輝兄さんだって、僕と同じようなこと──ううん、僕以上に辛い経験をしてきたと思うけど」

瞬の至極尤もな意見を、
「俺にも、好みというものがある」
氷河は、あっさり切って捨てた。

突然論理を超越してしまった氷河の言い様に、瞬は苦笑した。
苦笑して、すぐに、その苦笑を引っ込めた。

氷河が口にした、『大いなる神の恩寵アメイジング・グレイス』。
その美しい賛美歌の出来た経緯を思い出して。






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