そんな、ある日のことでした。

氷河の話を聞いて、自分も『フランダースの犬』を見たくなった瞬は、その町にたった1軒だけあるレンタルビデオ屋さんに出掛けていったのです。
(この話の時代はいったいいつなんだ? なんてことは考えてはいけませんよ)

久し振りのオフの日でしたから、本当は瞬は氷河に会いたかったのですが、その日、氷河は『母をたずねて三千里』の特訓があって、終日外出できそうにないと連絡があったのです。
ちなみに、二人は、足に手紙をくくりつけた伝書鳩を使って、毎日連絡をとりあっていました。

ともかく、そんなわけで、レンタルショップに出掛けていった瞬。
けれど、残念なことに、『フランダースの犬』のDVDはすべて貸し出し中。
氷河には会えず、『フランダースの犬』は借りられずで、すっかりしょげてしまった瞬がレンタルショップを出ようとした時でした。
店の出入り口近くにあるカウンターの上に、ネロとパトラッシュの絵が描かれたDVDのパッケージがあるのに、瞬は気付いたのです。

「あ、パトラッシュ!」
瞬は小さな歓声をあげました。
なんて幸運なんでしょう。
どうやら『フランダースの犬』を借りていたお客さんが、ちょうど返却に来たところのようでした。

「あの、これ、返却になったんですか? 僕、借りられますか?」
お店のカウンターに飛びつくようにして、瞬は気負い込んで店員さんに尋ねました。

「これが好きなのか」
「はい! 何度も見ました!」
店員ではなく、DVDを返しにきたお客さんが、瞬に声をかけてきます。
期待に胸をふくらませ、元気に頷いてから初めて、瞬は、そのお客さんの顔を見上げました。
そこにいたのは、赤いのか青いのかよくわからない色の長い髪をした若い男性で、彼はなんだかとっても嬉しそうな目をして瞬を見おろしていました。

「何度も見たのか」
「はい。でも、何度見ても泣いちゃう……」
「そんなことではいけないな」
「どうしてですか?」
「泣いても何にもならない。泣くことでは何も解決しない。ネロやパトラッシュが生き返るわけでもなければ、幸せになるわけでもない。世の中は無情なものなのだ」
「…………」

いい歳(?)をした大人が真面目な顔でアニメの話を語るのに、瞬はちょっと驚いてしまいました。
けれど、そんなふうに真剣に語らずにいられないくらい、彼はネロとパトラッシュが好きなのだろうと思うと、瞬には彼を笑い飛ばすことはできませんでした。
ですから、瞬は──瞬も──とても真面目に答えたのです。

「世の中は無情──って、そんなふうに諦めてしまわないために、僕はこのお話を見るんですよ。たくさん泣いて、そして、こんな悲しいことはもう起こらないようにしたいって思うんです」
「泣かずにそう思うこともできるだろう」
「でも、泣かずにいようって意識する必要もないでしょう? そんなふうに自分の感情を抑えていると、心が乾いちゃう」
「私は──」
「駄目です、嘘ついても。目が赤いもの」

そうなのです。
その、赤いような青いような不思議な色の髪をした男性の目は、まるで一晩泣きあかしたあとのように真っ赤だったのです。

男性は、瞬の突っ込みに少々慌てたらしく、取り繕うように言いました。
「こ……これは心の汗のせいだ」
(え……?)

どこかで聞いたことのあるセリフ──です。
もうとっくに返却したものと思ってたのに、もしかしたら彼は、それを氷河に見せたあとも、ネロとパトラッシュの物語を幾度も繰り返し見ていたのでしょうか?
あるいは、一度返却してから、また借りたのでしょうか?

(これが、氷河の先生?)
よくよく注意して見ると、確かに彼は聖闘士らしく鍛えられた体躯をしていて、所作もなかなかきびきびしていました。
その聖闘士が、瞬の指摘に照れて、少し頬を上気させているのです。
アクエリアス家のカミュは、氷河に聞いていた通りの聖闘士のようでした。

「優しいんですね」
さすがに『可愛い』と言うことはできませんでしたので、瞬はカミュにそう言いました。
途端にカミュが、口をへの字に曲げてしまいます。

『クール』を標榜しているカミュにとって、『優しい』は決して褒め言葉ではありませんでした。
しかも、それは、事あるごとに対立しているアンドロメダ家の家訓でもあります。

けれどその時──。
カミュには、瞬のその言葉がなぜかとても心地良く、そして優しい響きを持っているように感じられたのでした。






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