氷河は、その不穏分子が気になって仕方がなかったのである。 なぜ気になるのかが気になり、一ヶ月後のコンベンションを待ちきれなかった氷河が、瞬の自宅を訪ねたのは、その夜から3日後の夕刻。 ヒトやDBの 瞬は、緑化推進計画が完了したばかりの区域にある古く小さな家に、一人で暮らしていた。 資料によると、紫龍とは父親同士が友人だったらしい。 その父親が亡くなったのを機に、それまで暮らしていたアジア極東地域を出て、今は紫龍のDNAデザイン事務所で働いている。 母親は、瞬が幼い頃に鬼籍に入っていた。 それが“自然”というのなら、確かに自然なのだろう。 瞬の住むフレンチカントリー調の素朴な造りの家は、人間工学にのっとって合理的に建築・デザインされた空間で日々を暮らしている氷河の目には、まるでままごとの家のように映った。 建物の中に入るのに、IDカードの提示も必要がない。 氷河は、窓から顔を出した瞬に、目で何者なのかを確認され、家の中に入ることを許された。 建物だけでなく室内の家具も、“自然な”素材とデザインで統一されている。 その一室に通された時、氷河は、一瞬、自分が数百年前の欧州の田舎家に足を踏み入れたような錯覚を覚えてしまったのである。 樫の木でできたテーブルと椅子に、氷河は少々居心地の悪さを感じつつ、腰を落ち着けた。 軍服としても認められている機能性を重視したデザインのスーツが、この家の中では異質そのものである。 訪問着ではなく綿のフレンチ袖のシャツを身に着けた瞬は、先日会った時よりも、どこか憂鬱そうな顔をしていた。 「飼っていた小鳥が逃げちゃったんです」 「籠の中に閉じ込めておいたんだろう。自然じゃない。自然にこだわるくせに、ヒトはそういうところが矛盾している。ペットなど飼わない方が、ずっと人道的だ」 「怪我していたのを拾ってきて、その治療中だったんです。まだ完治してなかったのに。ちゃんと生きていけてるのかな……」 「大丈夫と思ったから逃げ出したんだろう」 「そうでしょうか」 「力のない者が親切な庇護者のいる場所から逃げ出す可能性は、他に考えられない」 これが他のヒトだったら、慰めの言葉を口にしようとすら思わない。 なぜ瞬にそんなことを言ってやっているのか、氷河は、自分で自分がよくわからなかった。 「それは、人類史上最高のDBの総合的判断?」 「そうだ。信じるに値すると思うが」 「……ありがとう。優しいんですね」 瞬は、それが、確たる根拠のない慰撫の言葉にすぎないということがわかってるようだった。 それでも瞬は、氷河に礼を言った。 「DBには、それは褒め言葉じゃない」 「DBにもヒトにも褒め言葉でしょう。──ううん、ただ、事実を言っただけ」 「俺はDBだぞ」 DBは、他人に自身を褒められても心を動かされない。 自惚れることがないように、慢心しないように、できているのだ。 DBは、それが適切な評価かどうかを客観的に判断するだけだった。 なぜか、今の氷河は、その判断を下すことができずにいたのだが。 「僕は人間ですよ」 悪びれる様子もなく、瞬は言った。 「ヒトではなく、人間か」 「DBも人間でしょう。いい言葉ですよね、“人間”」 語意を言うなら、『ヒト』は、生物学用語で動物的側面を重視したもの、『人間』は、単なる動物ではなく、文化と文明を享受し、それを限りなく発展させることのできる存在──ということになるのだろうか。 確かにそれは、ヒトとDBの両者を総括できる言葉だった。 |