「はい、どうぞ」
ダイニングテーブルを兼ねているらしい木目調のテーブルの上に出されたカップの中の液体は、ココアだった。
平生なら、その甘い香りを嗅いだだけで無視するところなのだが、氷河は無理にそのカップに口をつけた。
そして、あまりの甘さに、顔を歪める。

「お口に合いませんでした? なんだかお疲れみたいだったから、甘いものの方がいいかと思ったんですけど」
『甘いにしても限度というものがあるだろう!』という言葉を、氷河は口中に残る甘さと共に、喉の奥に押しやった。

「俺はDBだ。体力も運動能力も人間よりはるかに優れている。疲れてなど──」
「ロボットだって、メンテしないとくたびれちゃいますよ。まして氷河は人間なんだから、精神の磨耗や疲労も考えなきゃ。重責のある立場にいると、ヒトよりずっと色々なことに神経を遣うんでしょう?」

「俺の体力や運動能力は、怠けてばかりいるヒトの3倍近い能力値を弾きだしている。あっちの方も、ヒトなんかよりずっと優秀だ」
「あっち?」
「セックス」
「…………」

何を勘違いしたのか、身の程知らずにもDBを気遣うなどということをしてみせるヒトをやり込めるために、氷河はわざとそんな単語を口にした。
思惑通りに、瞬が真っ赤に頬を染めて俯く。

意趣返しをして、ひとり悦に入った氷河に、何とか気を取り直したらしい瞬が、幾分どもりながら尋ねてくる。
「あ……あの、えと、それで今日いらしてくださったご用は何だったんでしょう?」
途端に、身の程知らずのヒトをやりこめてやったという良い気分が、一気に消し飛んだ。
実は、自分が具体的用件の一つもないのに ここにやってきたことに、氷河は遅ればせながら気付いたのである。
普段の彼なら決してしでかさない失態ではあった。

「忘れた」
取り繕うことの愚を察して、正直に言う。
「え?」
DBがそんな間の抜けたことをすることがあろうとは思ってもいなかったらしい瞬が、一瞬きょとんとする。
それから瞬は、氷河の目の前で、ぷっと吹き出した。

「僕は目の保養ができるので、いらしてもらえて嬉しいですけど」
「俺もそのために来たのかもしれない」
「え? 僕は、氷河とは違って、ごく普通の──」
その先の言葉を、瞬は口にしなかった。
代わりに、もう一度笑顔を作る。
「ま、人の好みはそれぞれですし、お互い面食いだってことにしておきましょうか」


瞬はおそらく、論理的思考に優れているわけではないが、機転のきく人間だった。
当意即妙を心得ている。

瞬とのやりとりに、氷河は、不思議な緊張感と安らぎを覚えていた。
相反するその二つの感情が、用もないのに瞬に会いたいという、非合理的な情動を氷河の中に生み、氷河をその通りの行動に向かわせる。

その日以降、氷河は、少ないプライベートタイムを割いては、瞬の家を訪ねるようになった。



瞬が、度重なる氷河の訪問の理由がわからず、多忙な彼の身体を心配して、紫龍に相談すると、彼は実に愉快そうに笑ってみせた。
あれ・・はスーパーマンだから、仕事もプライベートもうまくやりこなしてみせるだろう。心配は無用だ。疲れているようなら、おまえが奴の頭を撫でてやればいい」

それが、瞬への、紫龍からのアドバイスだった。






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