翌日、瞬が目覚めた時、太陽は既に中天にあった。
ままごとの家具のようだと、氷河に幾度も茶化されたフレンチカントリー調のベッドの下に、どうやら昨夜氷河が握りつぶしてしまったらしい非常時連絡用の携帯電話が、原形をとどめない哀れな姿で転がっている。

行政立法府の長が行く先も告げずに連絡を絶った首都では、大きな騒ぎが起こっているかもしれないという不安が、瞬の胸に生まれてきた。
だが、自分の小さなベッドの隣りの場所で、氷河の青い瞳が自分を見詰めているのに気付くと、瞬はすぐに、そんなことはどうでもよくなってしまったのである。

「身体が重くて動けないんだ。こういうものなの、普通?」

動物的欲望は冷静な判断力を損ねるものだとして、性欲を抑えるDNAデザインをされたDBが多く作られた時代もあった。
それはDBから人間的魅力を奪う行為だという批判が出て、すぐに下火になってしまったが。
今は昔の話である。

「すまん。こんなに我を忘れたのは初めてだ」
「ヒトの3倍の体力だから一晩中って訳じゃないんだ」
身体を交えた者の気安さで、瞬は氷河をからかった。

「氷河がほんとはヒトだっていうのは、事実? 人類史上最高のDBがヒトなの?」
「気にしないんじゃなかったのか」
「氷河がヒトなのなら、僕も言わなきゃならないことがあるから」
「何だ」

氷河が再び瞬を自分の下に引き込み、その唇にキスをしながら尋ねてくる。
瞬は、大きくひとつ深呼吸をしてから、その事実を口にした。
「僕、DBなんだ」

それまで、言葉では言い表し難い幸福感と満足感に浸っていた氷河が、瞬の告白に息を飲む。
その様子を見てとった瞬は、慌てて言葉を継ぎ足した。
「あ、でも、意図して優秀なDNA情報を選別したわけじゃなくって、ランダム係数システムを使って、運を天に任せて作られたDBなの」

テーマと構図を決め、素材である絵の具を選んで描かれた絵ではなく、カンバスに好き勝手に絵の具をぶちまけてて描かれた絵だよ──と、瞬は言葉を続けた。
「ぼくの母さんが事故で死んだ時、父さんは、残された母さんの細胞が死んでしまう前に、それを使って二人の忘れ形見を作ろうとしたんだ。性別さえ、自分では選ばなかったって言ってた。僕の父さんはDNAデザイナーだったんだけどね」

社会的には無目的に、ただ愛情を一つの命にするためだけに作られたDB。
“人間”の命というものは、本来そんなふうに生まれるべきものなのかもしれない──と、氷河は思った。


「氷河がヒトだというのは本当?」
「本当だ」
「DBの僕を嫌う?」
「どうしてそんな馬鹿げたことが訊けるんだ」

馬鹿げたことを尋ねてくる瞬に、しかし、氷河はちゃんと答えを返してやった。
無駄であり無益でもある そんな言葉のやりとりを、睦言というのだろう。
恋人同士には、無駄で無益な言葉を交わすことも楽しいばかりの行為だった。

「ヒトでもDBでも、おまえが俺にとって最高の人間だということに変わりはない」
「氷河……」

『怠け者のヒトの3倍の体力』という氷河のキャッチワードは実は5倍の間違いなのではないかと、瞬が疑うことになったのは、その日の、更に夕方になってからだった。






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