僅かに開けたドアの前で、氷河は迷ったのである。 今、この部屋の中に入っていくべきか否かを。 氷河は、瞬は大好きだったが、ケーキは大嫌いだった。 頭痛がしてくるバニラの甘い香りもさることながら、瞬に至福の表情を浮かべさせることのできる、自分とは無関係なその物体に、氷河は憎しみさえ抱いていたのである。 「ふーん。で、おまえは、どういうのが好みなわけ?」 氷河が入室をためらっている間にも、瞬たちの会話は進んでいく。 「僕の好み……? うーん。僕、わりと誤解されてるような気がするんだ。僕って、素材がフルーツメインの、可愛くて、軽めのデザートが好きみたいに思われてるような気がするの。でも、僕、ほんとは、くどいくらいに甘くて濃厚なのが好きみたい。可愛いイチゴの載ったショートケーキやフルーツいっぱいのタルト・オ・フリュイも悪くはないんだけど、濃厚なチョコレートムースが更に別種類のチョコレートでコーティングされたガトー・ショコラとか、シロップ漬けの甘〜い栗が甘〜いマロンペーストでこれでもかってくらいにてこてに包まれてるモンブランとか。ミルフィーユもね、間にフルーツを挟んでたりしちゃいけないの。濃厚クリームと生地の重なりだけで勝負してほしいんだよね。息つく間もないくらいに、濃さと甘さが繰り返してるみたいな、そんなふうなのが好き」 美味なケーキのせいで舌の滑りが良くなっているのか、瞬は今日は、やたらに饒舌である。 瞬は、ケーキの話ができることが嬉しくてたまらないといった 「いわゆる、おフランス風というやつだな」 「そんなの食い続けてたら、気持ち悪くならないか〜?」 「濃厚な味に慣れちゃったら、他のあっさりしたケーキは物足りなくなるよ」 紫龍と星矢にそう言ってから、瞬は、ふと思いついたように言葉をつけたした。 「まあ、年に1回くらいは食傷気分になることもないではないんだけど」 微妙な言い回しをして、瞬がティーカップに手を伸ばす。 しかし、瞬は、結局、お茶を飲むのをやめてしまった。 「──デザートだよ。ただのデザート。なのに何でなのかな。僕、時々、そのただのデザートのために全てを投げ出してもいいって思うこともあって──判断力が狂う──ううん、なくなっちゃうんだよね……」 ドアの外で、氷河は顔を歪ませていた。 たかがデザートに、そこまでの執着を抱くことのできる甘党の人間の気持ちが、彼には全くわからなかったのである。 「で、氷河の腕前はどうなんだよ?」 「氷河?」 なぜ星矢がここで自分の名前を出してくるのかと、氷河は訝った。 それは瞬も同様だったのだろうが、瞬は、しかし、それについては何も答えなかった。 「苦しいくらいに甘くて、息をするのも忘れるくらいに濃密で──あれ、僕、くらくらする……?」 瞬の様子がおかしい。 「うん……そんなデザートが作れるパティシエさんからは、僕、一生離れられないかもね」 氷河には到底許し難い暴言を吐く瞬の口調は、どこか心許ない。 「ただのデザートだったんじゃないのかよ?」 「ん……。もちろん、ただのデザートだよ……」 氷河が怪訝に思って、意を決し、瞬たちのいる部屋に入った時、瞬はなぜか、空になったデザート皿の脇に肘をつき、両手で自分の頬を支えて、うっとりと寝入ってしまっていた。 |