シベリアから帰ってきた氷河は、沙織さんに、俺よりはちゃんとした説明を受けた──はずだった。
でも、どんな説明を受けたって、結論は一つだけなんだから、氷河の状況把握の程は、俺と似たり寄ったりのものだったろう。

最初、氷河は、烈火のごとく怒った。
「じょーだんじゃないぞっ! 瞬はまだ10代で、人並みな幸せも知らなくて、だいいち!」
勢いよくわめき始めた氷河が、すぐに両の肩を落とす。
それから、氷河は、呻くように低い声で言った。
「俺は、時間はいくらでもあると思っていたから……」

だから、氷河は、瞬を放っぽって、のんきにシベリアなんかに行っていられたんだよな。
それきり黙り込んでしまった氷河の後悔と苦渋が、俺にも伝わってくる。
そして結局俺は、氷河にも何も言えなかった。

代わりに紫龍が、氷河に、えらく難しい警告をした。
「瞬はもう病院を出た頃だろう。おまえの帰国に合わせて、無理に退院したんだ。──クールにしてろよ」
氷河に『クールになれ』なんて言うことくらい実現不可能な要求もないわけで、氷河はクールとは程遠く──苛々した様子で、ラウンジのソファに乱暴に腰をおろした。

運命を呪っても事態が好転するわけではないことは、氷河もかろうじて承知できているらしい。
奴は、それ以上毒づくことはせずに、ただ黙って、窓から、瞬を乗せた車がやってくるはずの門の方を睨みつけていた。

そのまま10分。
誰も何も言わず、動きもしない時間が過ぎる。
ちょっとした刺激に今にも爆発しそうなその場の沈黙が苦しくて、無意味な音を求め、俺は滅多につけないラウンジのテレビのスイッチを入れた。
画面の中では、つまらない顔をした昼のニュースのキャスターが、今年の自殺者の数が2万だかを越えたとか越えそうだとかいうニュース記事を読みあげていた。

このタイミングで、なんでよりにもよってそんなニュースを流してるんだと、俺は滅茶苦茶腹立たしい気分になった。
まるで心ここにあらずというていでいた氷河が、ふいに吐き出すように言う。
「死にたい奴は死ねばいいんだ! どうせ生きている価値もない……!」

その捨てた命を瞬によこせと、胸の内で氷河が叫んでいる声が、俺には聞こえた。
生きていたい人間が死んでしまうのに、生きようと思えば生きられる人間が死を選ぶ。
自分で自分の死を選ぶなんて、そんな贅沢は瞬には許されていないのに、だ。

俺は、本音を言うと、それまで、自殺って行為を、人が言うほどの悪行だと思ったことはなかった。
俺には理解できない選択だけど、自分で自分の死を選ぶ人間には、それなりにのっぴきならない事情があったんだろうと、他人事のように思ってた。
でも、それは、やっぱり、とんでもない悪行なんだ。
それは、生きている人間と生きていたい人間を侮辱することだ。
瞬を侮辱することなんだ。
俺は、無性に腹が立った。



そのニュースが終わって何分も経たないうちに、瞬を乗せた車が城戸邸の庭に滑り込んできた。
氷河がシベリアに行っていたのは、ほんのひと月。
その間に、それでなくても細かった瞬は一層痩せて、おまけに、まるで全身に漂白剤でもぶっかけて洗ったみたいに白さを増していた。
氷河は、その姿に愕然としているみたいだった。






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