氷河王子がブッダであれば、煩悩を払うための修行に挑んでいたことでしょう。
孔子であれば、放浪の旅に出、ソクラテスであれば、『理不尽な運命も運命なり』と自らの運命に従い、イエスであれば、我と我が身を欲望ごと十字架に架けていたかもしれません。

けれど、氷河王子は氷河王子、モットーは『信じて貫けば、夢は必ず叶う』。
世界の四聖人などとは、良い意味でも悪い意味でもレベルが違いました。
氷河王子の辞書に、『諦める』の項は存在していなかったのです。

そこで、氷河王子は一念発起。
氷河王子は、カニ好きの妖精の許に直談判に出掛けることにしました。
自らの運命を自らの手で切り開くことを決意したのです。

氷河王子は、恨み重なるカニ好きの妖精の家など知りませんでしたから、まず最初に、自分に『クールな王子になるように』という祝福をくれた別の妖精の家に向かいました。
クール好きの妖精は、
「なんだ、ちっともクールな男になっていないではないか。これというのも、アイオリアの奴が、『熱血漢の王子になるように』などという、私と正反対の祝福を与えるからだ」
とか何とかブツブツ文句を言いながら、カニ好きの妖精の家の場所を教えてくれました。

そんな回り道をしていたので、氷河王子が憎い仇の家に辿り着いた時には、空には既に、きらきらと輝く星が姿を現していました。
瞬王子は、そろそろ眠りに就いている頃だったでしょう。
氷河王子が たぎる青春の熱き血潮を持て余して、夜、遠乗りに出ることはよくあることでしたので、多分、お城では氷河王子の不在を心配している者はいないはずでした。

(待ってろよ、瞬! おまえがゆっくり眠れるのも今夜が最後だ……!)
固い決意を胸に秘めた氷河王子は、勢い余って、カニ好きの妖精の家の扉を蹴破ってしまいました。
かなり失礼です。
失礼どころか、建造物損壊罪を問われた上、そこに不法侵入罪も加わるところです。

カニ好きの妖精の家は、けれど、そんな礼儀も失礼も法律も糞もないような 不気味この上ないものでした。
なにしろ、部屋中の壁という壁がカニカニカニ。
そこには、わずかな隙間も見付けられないほどぎっしりと、カニのお面が飾ってあったのです。
その気持ち悪いことといったら!
スイカにマヨネーズの取り合わせなんか、屁でも糞でもありません。
もともと氷河王子はカニが大嫌いでしたから、気持ち悪さもひとしおです。

氷河王子は、気味の悪いカニたちをなるべく見ずに済むように、目を半眼にして、その家の主への挨拶もなしに、用件を切り出しました。
「おい、カニ! 俺の呪いを解け!」

いくら憎い仇でも、『こんばんは』くらい言うのは人として最低限の礼儀だったでしょうが、どうやらカニ好きの妖精はそんな虚礼の無意味さを心得ているらしく──彼もまた、挨拶抜きで、彼の知りたいことをだけを、氷河王子に尋ねてきました。
すなわち、
「手土産は?」
──と。

「何?」
「手土産はないのかと聞いた」
「そんなモノがあるわけがないだろう! 俺がここに持ってきたのは、貴様への恨みつらみだけだ!」

ここで毛ガニの手土産でも持ってきていれば、あるいは、カニ好きの妖精の心も和らいで、氷河王子は存外簡単に呪いを解いてもらうことができたのかもしれません。
でも、そんな懐柔策を用いることを潔しとしないのが若さというものです。

若さを極め尽くした氷河の返事を聞いたカニ好きの妖精は、まず、非常に不機嫌な表情を作りました。
それから急に、何か楽しいことを思いついたように、にやりと下品な笑みを口許に刻んだのです。






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