氷河と瞬が、とりあえず恋仲と言えるような関係になってから、1年弱の時間が経っていた。 が、実は氷河は、これまで“色っぽい瞬”というものに、ほとんどお目にかかっことがなかった。 考えてみれば、それは実に不思議なことである。 たとえば、あまり上品ではない日本語では、恋に関心を持ち性的に成熟しかける年齢に差しかかった者を『色気づく』と評する。 恋をしたら色っぽくなるのが、人間の常道なのだ。 だというのに、氷河は、互いの気持ちを確かめ合った時も、瞬とふたりでいることが多くなってからも、瞬を色っぽいと思ったことが一度としてなかった。 むしろ、そういう仲になる以前の方が、瞬の姿を見るたびに、軽い衝撃にも似たときめきを感じることが多かったように思う。 だが、最近の瞬は、もしや退行現象でも起こしているのではないかと思うほどに、“色っぽさ”とは無縁な世界の住人になり果てていた。 瞬は、氷河の前では、いつも明るく元気で屈託がない。 そういえば、初めて二人で夜を過ごした時も、瞬は 氷河の前で、瞬は基本的に子供なのだ。 倦怠期にしては早すぎるが、いつのまにかそういうことになってしまった。 どこぞでふらふらしている兄を心配しているだけのことで、あれほど艶めいた哀愁を身にまとうことのできる瞬が、これはいったいどういうことなのだろう──? 氷河は、ひどく不愉快になった。 そして、微かな不安を覚えたのである。 |