観察していると、放浪癖のある兄を気遣う時以外にも、瞬が大人びた表情をすることはあった。 たとえば、亡くなった人の話をする時、過去にあった闘いや、これから起こるであろう闘いの話をする時、星矢が語る 会えない姉の話を聞いている時、アテナの聖闘士には直接関わりのない他国間での戦争、内戦、天災──。 そういった、あまり楽しいとは言い難い話題が出た時には、普段はおめでたいほどに笑顔しか知らないような瞬の表情も、憂いを帯びるし、翳りが射す。 だというのに瞬は、氷河の前ではいつも、能天気としか言いようのない笑顔の持ち主になるのだ。 それは、まるで何も考えてないような──不幸も恋の切なさすらも知らないような──正しく子供の表情だった。 要するに、瞬の(一応)恋人である氷河だけが、瞬を“色っぽく”できないのである。 それは、氷河の認識では、ありうべからざる事態だった。 恋というものは、普通、“大人”がするものである。 そうでなかったとしても、恋の憂いや切なさは、恋する者を大人にするものだろう。 そういう表情を瞬に作らせることのできない自分自身への苛立ちと、瞬は本当に自分に恋をしてくれているのだろうかという懸念。 氷河が突然、そんなものに囚われることになったのも、もしかしたら、今が秋という季節だから──だったのかもしれなかった。 |