「瞬は?」
「あとから来るそうだ」
「…………」

何ということもない氷河の受け答えと、機嫌のよさそうな彼の瞳の色を見ただけで、星矢と紫龍は、即座にそれ・・を察した。
氷河がいったい何を考えて、こんな回りくどい手順を踏もうとしたのかはわからないままだったが、ともかく彼は、昨夜、彼の目的を達成してしまったのだ──と。

「悪だくみは計画通りにいったらしいな」
紫龍が嫌味たらしく探りを入れると、氷河は臆面もなく上機嫌の笑みを彼に返してよこした。
「弱みを握られてるから、瞬の命令には逆らえなくてな」
「その弱みが何なのかは知らないが、おまえ、本当は、瞬が自分の弱みを握るように、わざと仕向けたんじゃないのか」
「何のために」
「弱みを握られることで、逆に、瞬を操るために」

もはや、そうとしか考えられなかった。
そもそも、他人の弱みにつけこんでの脅迫や威嚇などという行為を、あの瞬が自主的にするはずがないのだ。
そんなことは、平生の瞬なら思いつきもしない。

「まあ、こういうことはデリケートな問題だし? より不自然な行為を強いられるのは瞬の方だから、俺は、できれば瞬に求められて、そういう仲になりたかったんでな。機会を与えてやらないと、瞬はいつまで経っても、自分の望みを口にしないし、何らかの行動を起こしもしない」
目的を達した今となっては、氷河もその事実を殊更に隠すつもりはないらしい。
氷河は、悪びれる様子もなく、紫龍の推察を肯定した。

「で、おまえがわざと瞬に握らせたおまえの弱みというのは、結局何だったんだ」
ふてぶてしいまでに堂々とした氷河の態度に呆れつつ、紫龍は重ねて氷河に尋ねた。
その結果、紫龍と星矢は、驚愕の事実を知ることになったのである。

「マザコン」
「なに?」
氷河がやっと白状した彼の“弱み”に、紫龍と星矢は文字通り目いっぱい目を剥くことになった。
彼等の驚愕の様子を意に介したふうもなく、氷河はしれっとして彼の言葉を続ける。

「瞬にネビュラストームを食らうことになった前日に、これを大事そうに握りしめて──」
氷河がそう言いながら、紫龍たちに無造作に示してみせたものは、彼の母親の形見といういわくつきの金のロザリオだった。
「俺がマザコンだと人に知れたら、女にモテなくなるかもしれないと、瞬の前でぼやいてみせたんだ」

「…………」
星矢は、一瞬間だけ絶句した。
そんなことが、なぜ氷河の“弱み”になりえるのか、星矢には──もちろん、紫龍にも──とんと合点がいかなかった。
『実は俺は水虫を飼っているんだ』とでも言われた方が、はるかに納得できる。

「あ……あのなぁ、氷河。おまえがマザコンだなんてことは、日本中の人間が知ってることじゃないか」
「俺は、日本中どころか、おまえらの前ででも母親の話をしたことはほとんどなかったと思うが」
「…………」
言われてみれば、それは確かにその通りだった。
それは、いつのまにか、公然の秘密になっていたのだ。

「いや、しかし、それはともかくだな。女にモテなくなるなんて心配事を口にした舌の根も乾かないうちに瞬を押し倒そうとするなんて、たとえおまえが瞬の意思を確認する手順を抜きにしなかったとしても、瞬が大人しく押し倒されてくれるはずがないじゃないか」
星矢の言う通りだった。

氷河にネビュラストームを見舞ったあとで、瞬は、
『氷河なんか、僕がマザコンだってことをバラしたら、今時、どんな女の子にだって見向きもされなくなるんだから!』
と瞳に悔し涙をにじませて、氷河を責めてきたのである。
──氷河の目論見通りに。






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