「──瞬が俺を構ってくれさえすれば、俺は、他の女になんぞ永遠に無視されっぱなしでも構わないんだがな」
氷河が、彼にしては神妙な態度で、彼にしては健気な言葉を、仲間たちの前で呟くように言う。

が、今更 殊勝な口振りで氷河にそんなことを言われても、星矢と紫龍は、全く彼の言葉を信じる気になれなかった。
というより、彼等は理解できなかったのである。
氷河が何を意図して、瞬の誤解を招くような言葉を、瞬の前で言ってしまったのかが。

「そりゃあ、もちろん、瞬の意思を尊重するためだ。自分が何を欲しているのかを、瞬に自覚させるため。俺が瞬を求めてることより、瞬が俺を欲しがってくれることの方が、はるかに大事で重要なことじゃないか」
そのために一度はわざと瞬の意思を無視してみせたのだと、氷河は、屁理屈としか言いようのない理屈を彼の仲間たちに披瀝した。

「……それって、おまえが瞬を押し倒すんじゃなくて、おまえが瞬の誘いを受けたかったってことか? つまり、ヘタレ攻め志望?」
「瞬の意思も何も、瞬はおまえにそう言わせられただけじゃないか!」
屁理屈には突っ込みどころが幾らでもある。
星矢と紫龍は、当然、突っ込むべきところに突っ込みを入れた。
律儀の見本のような二人ではある。

「そうしないと、瞬はいつまでも自分の要求を口にしないからな。聖闘士にはそんな個人的なことより優先させるべきことがある──なんて、ふざけた逃げ道を用意して、瞬は、我慢しなくていいことまで我慢し、手に入れられるものまで手に入れようとしない。だが、それは結局、ただの逃げだろう。瞬は、自分から求めないことで、責任を回避しようとしているだけだ!」
殊勝な口振りが一転、氷河の語調が激昂している者のそれに変わる。
氷河の豹変ぶりに、星矢と紫龍は少なからず驚いた。

「俺は、瞬の望むことはどんなことでも叶えてやりたいし、瞬の欲しいものは何だって、瞬に手に入れさせてやりたいんだ。そのためになら、どんなあくどいことでもする。瞬がそうしろと言ってくれさえしたらだ! なのに、瞬はそれを言わないんだ!」
本当に悪党面になって、氷河は、辺りに怒声を響かせた。
怒り心頭に発している様子の氷河を目の当たりにして、星矢と紫龍は、実は真に同情すべき相手は、氷河に振り回されている瞬ではなく、氷河の方だったのではないかと思ったのである。

氷河は、確かに、とんでもない弱みを瞬に握られていたのだ。
“惚れた弱み”という、起死回生の可能性すらない絶望的かつ絶対的な弱みを。
だが、瞬は、自分が氷河に対して持っている強大な力に気付きもせず、気付くことを避け、その力を駆使しようともしない。
本当に辛かったのは、その弱みに気付いてもらえない氷河の方だったのではないかと、今頃になって星矢と紫龍は思い至ったのである。
脅されなくても瞬の下僕でいたい男を狡猾極まりない悪党にしたのは、瞬の方なのだ。

「まあ、だが、瞬もやっと素直になることを覚えてくれたようだから、これで俺もいらいらしっぱなしの生活から解放されるだろう。あれこれ画策した甲斐があったというものだ」
「瞬が素直に?」
氷河が自分の悪だくみを全て暴露する気になったのは、彼の真の目的が既に達成されてしまっていたからだったらしい。
まだ多少は氷河への同情心のかけらが残っている星矢に、氷河は得意げに頷いてみせた。
「瞬は、俺とのあれ・・がいたく お気に召したらしくて、闘いのない日には毎日でも一緒に寝ようと言ってきたからな」
そして、彼は、これは俺の愛とテクの勝利だと、本気なのか冗談なのかの判断に苦しむような勝利の雄叫びを、室内に響かせたのである。

星矢と紫龍は、あっけにとられることしかできなかった。
さすがに瞬は、趣旨は同じでももう少し違う言葉を用いてそう言ったのだろうが、何はともあれ、事態はそういうところに帰着したらしい。
無論、やっと収束を見たこの事態を再び荒立てる愚を犯すほど、氷河の仲間たちは愚かではなかった。

代わりに、紫龍がぼやく。
「おまえ、敵と闘う時にも、それくらいアタマを使ったらどうだ」
「あいにく、俺は、そんなことのために使う脳細胞は持ち合わせていない。俺のアタマはもっと有意義なことをするためにあるんだ」

地上の平和と自らの生死を懸けた闘いを無意味と言ってのける氷河に、星矢と紫龍はもはや言うべき言葉もなかった。
なかったので、彼等はそれきり沈黙した。
有意義な闘いや争いなどというものは、確かにこの世界には存在しない方がいいに決まっている。






【next】