「おはよう、氷河」
「おはよう、瞬」
ごくありふれた朝の挨拶で、二人の一日は始まる。

「今日もいい天気だな」
「うん。でも、今日は午後2時から30分間、この辺りの居住区用ドーム内に雨を降らせるんだって。その時間には、雨に濡れたい人以外は屋内にいるようにって、夕べの天気予報で言ってたよ」
「雨か。そういえば久し振りだな」

人間の作り出すフロンやトリクロロエタンが、地球のオゾン層を破壊していることが問題になり始めたのは、わずか1世紀弱前のことである。
それまで、人類は、自分たちが何千年もの時間をかけて地球を壊し続けてきたことに全く気付いていなかった──あるいは、気付かぬ振りを続けてきた。
これ以上見て見ぬ振りはできない──という段になって、やっと人類はその重い腰をあげることになったのである。

その対応策に数十年間の試行錯誤を繰り返した後、人類が採択した最終的対応策は、人間の生活圏を巨大なドームで覆い、自分たちが汚した空気を大気圏外に放出しないというものだった。
地球全体をドームで覆うことはさすがに不可能だったが、人口の集中している都市圏を直線距離にして幅1キロメートルほどの地区に区切り、その単位でそれぞれの地区を大気浄化機能を有するドームで覆う。
ドームは紫外線を跳ね返し、人体に安全な光だけを人間の生活圏に取り込み、人間は汚れた空気をドームの外に出さない。

それは、破壊されたオゾン層修復の根本的解決にはならない対応だったが、更なる破壊を食い止めることには貢献しているようだった。
ドーム内での大気循環及び清浄化のシステムは、今世紀最大の発明と言われている。

「科学の力に傾倒して、自然を忘れるのは、あまりよろしくないことだと思うんだがな」
他ならぬ地球のために致し方ないこととはいえ、氷河は自然から遮断されたドーム内での生活に、未だに快さを感じることができずにいた。
コンピュータに制御・管理された、これ以上ないほど快適な環境を提供されているにも関わらず、である。

「確かに、昔にも、家単位での気温や湿度の調整はしていたさ。だが、こんなでかい屋根ができる前は、人は暑さや寒さを耐えることを知っていた。今は、ドームの中は完全にコンピュータに管理されていて、人工的にある程度の季節の移り変わりはあるとはいっても、どこに行っても暑すぎず寒すぎず、屋外にいても快適そのもの。結果、人類は日一日と、自然への耐性を失っているんだ」

氷河が、朝のベッドの中で、もっともらしい文句を繰り返すことは、既にこの家の日課になっていた。
が、氷河が毎日飽きもせずそんな文句を垂れ流し続けるのは、彼がもう少し寝ていたいだけなのだということを知っている瞬は、彼の演説をさほど深刻には受け止めない。

「こんなふうになる前は、夏場にはいつもぐったりしてたよね、氷河」
瞬がからかうように言うと、氷河はムッとした顔になる。
が、それも、いつものことである。
立場上 仏頂面になった氷河は、その実、瞬が自分の話に乗ってきてくれたことを喜んで、人間が自然の中で暮らすことの利点を更に唱え始めた。

「こんな屋根ができる前は、冬にはおまえに温めてもらえた」
「氷河が望むなら、今だって、温めてあげるけど」
瞬のその返答を聞いた氷河の機嫌が、目に見えて良くなる。
彼は、相好を崩して、ベッドの脇に立つ瞬の手を取った。
「あと ひと月もしたら、冬型気候の環境プログラムが稼働し始めるだろう。そうなったら、庭で温め合いっこをしよう。星でも眺めながら」

「素敵。じゃあ、その日を楽しみに、今日もお仕事頑張ろうね。さあ、起きて」
「…………」
要するに、結論はそういうことである。
人はいつかは、心地良いベッドから出なければならないのだ。
瞬に言われて、氷河はしぶしぶベッドの上に身体を起こした。






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