さてさて。
その日、氷河王子は大層不機嫌でした。

「氷河、どうしたの?」
「また、くそくだらないものが送られてきたんだ!」
瞬王子に尋ねられた氷河王子が、王子の私室の一本足のテーブルに、腹立たしげに叩きつけたもの。
それは、国民からの献上本でした。
氷河王子と瞬王子の許には、国民からの献上品という名目で、国民の作った同人誌・商業誌が送られてくることが多かったのです。

氷河王子と瞬王子は、私人としての立場は無いも同然の、いわゆる公人中の公人でしたから、肖像権の侵害がどうのこうのと、しかるべきところに訴えることはできません。
たとえできたとしても、そんなことをしていたらきりがありません。
ちまたにあふれる氷河本・瞬本は、たとえその内容がどんなに過激でも、また名誉毀損に当たるような記述があったとしても、ほとんど野放し状態でした。

今日、氷河王子の手許に届いたのは、どうやら、氷河攻め派からの献上本のようでした。
裏表紙の返しに、数年前にオロシヤ国ファンタジーノベル大賞を受賞した小説家のサインが入っています。

「また? 今度はどんな内容なの?」
瞬王子は、氷河王子の立腹を助長しないように気をつけて、穏やかな口調で尋ねました。
瞬王子は、突飛な発想の本には、もう慣れていましたから。

けれど、氷河王子は、その手の本が送られてくるたびに、毎回怒りを新たにします。
氷河王子は、瞬王子のように達観できていないのです。
「俺が、よりにもよって、おまえと、どこぞの小姓を争っているというストーリーの小説本だ。小姓はオリキャラ、おまえより可愛いという設定になってる。ふん。文字なら何とでも書けるからな。この世に存在するものか、そんな奴が!」

瞬王子は、その手の発行物に関しては既に悟りの境地に至っていましたが、だからと言って、心が石になってしまっているわけではありません。
憤慨する氷河王子の言葉の中に さりげなく紛れ込んでいる自分への大絶賛に、瞬王子はぽっと頬を染めました。

「僕が氷河と争って? じゃあ、それを書いた人は、氷河攻め派で僕も攻め派?」
「いや。俺は攻めだが、おまえは受け。オリキャラの小姓はリバで、おまえに対しては攻めなんだ。くそぅ!」
要するに、その本の瞬王子とオリキャラ小姓のえっちシーンが、氷河王子の逆鱗に触れたんですね。

瞬王子は、花びらのような瞼を伏せて、いつものように氷河王子をなだめにかかります。
「でも、それくらいなら、まだましな方じゃないかな。昨日、僕のとこに送られてきた本は、国王陛下が、氷河の王太子としての立場を確固としたものにするために、僕を、その……」
「父上がおまえを手籠めにする話か!」

困ったように切なげに頷く瞬王子を見て、氷河王子が両の拳をぶるぶると震わせます。
よりにもよって実の父親に瞬王子を寝取られるお話なんて、フィクションだからと、笑って聞き流せるようなことではありません。

「それでどうして、俺の世継ぎとしての立場が強くなるんだ!」
「僕が陛下に夢中になって、王位なんかどうでもよくなるっていうストーリーなの。氷河が正式に王位継承者として認められてから、僕は陛下の目的に気付いて、傷心して、生きる望みも失ってしまうんだけど、やがて、それまで僕をずっと見守ってくれてたオルロフ伯の真実の愛に気付く──っていう話だった」
「オルロフ !? 愛人を4人も抱えた女好きじゃないか!」

なんてムカつくストーリーでしょう。
瞬王子を父王に寝取られるだけならまだしも、瞬王子が他の男と真実の愛を語り合うだなんて。
「こ……この世には、俺とおまえのらぶらぶ本は、ただの1冊も存在しないのか! たまに、俺とおまえがメインの話があっても、そういうやつは、大抵、俺がおまえを監禁陵辱してる話で、俺は……!」

氷河王子は無念でした。
悔しくてなりませんでした。
氷河王子はいつも、ちゃんと合意の上で、瞬王子の身を気遣いながら、とても優しいえっちをしていましたからね。
もちろん、最初のうちはそのつもりでいたのに、抑えがきかなくなってしまうことも よくありましたけれど、それは瞬王子の声が可愛すぎたり、表情がたまらなかったりするせいなので、致し方ないことです。

「僕か氷河が本を出すんでもない限り、そんなお話、読めっこないよ。僕と氷河が仲良しでいることを主張する人たちなんて、この国にはいないんだもの。国民はみんな、僕と氷河が反目し合ってるって信じてるんだもの。それを期待しているんだから……」
すべてを達観しているはずの瞬王子が、ふいにぽつりと一粒、真珠のような涙を零します。

瞬王子の平穏さは、達観というよりは、諦観に近いものだったのでしょうか。
いいえ、瞬王子は結局、悟りきることも諦めてしまうこともできないでいたのです。
自分の真実の姿・真実の気持ちを、周囲の人たちにわかってもらえないこと、見てもらえないことは、とてもつらいことですから。
まして、瞬王子は、オロシヤ国の国民を愛していました。
愛する者に誤解されているという事実は、とても切なく悲しいことです。

氷河王子は、傷心の瞬王子をしっかりと抱きしめて、その唇を瞬王子のやわらかい髪に押し当てました。
「泣くな。他の誰が何と言おうと、どんな話を捏造しようと、俺はおまえを愛してるからな。父上にだって、おまえは可愛い甥だ」

「うん……わかってる……」
瞬王子が、氷河王子の胸の中で頷きます。
もちろん、わかっていましたとも。
わかっているからこそ、瞬王子は、こんなつらい現状にも耐えていられるのです。
氷河王子にキスをしてもらうと、まもなく、瞬王子の涙は止まりました。






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