ムウの真意──ひいては黄金聖闘士たちの真意、そして、聖域の真意──は、星矢たちにはわからなかった。
ただ、十二宮の闘いの後で生き残った黄金聖闘士たちが、全権大使としてムウを日本に派遣してきた訳だけは、彼等にもわかったのである。

極めて勝手かつ支離滅裂かつ滅茶苦茶なことを、ほとんど青銅聖闘士たちの口出しを許さずに、べらべらべらと立て板に水で喋りまくる芸当は、黄金聖闘士たちの中では、やはりムウが最も得意とするところだろう。
自分の用件をすべて言い終えてから、ムウは初めて、瞬とその仲間たちにまともに視線を向けてきた。

「あの……」
ムウの素晴らしい饒舌に、それまで口を挟めずにいた瞬が、やっと口を開く。
瞬の戸惑ったような表情には、ムウの言うような頑迷さは全く見い出せない。
瞬のそれは、ごく限られた事柄に関してのみ発揮されるものである。
ムウの提案はまだその領域に抵触していないらしく、瞬の目は極めて穏やかだった。──というより気弱だった。

「買いかぶりすぎです。僕はそんなに綺麗な人間じゃないです。清らかなんかじゃない。僕は、これまでたくさんの人を倒してきました、その中には、本当に悪い人なんて、一人もいなかった……」
瞬の、あまり強気でない反駁など、ムウには春の微風よりも刺激のないものに感じられたことだろう。
彼は、笑っているのか怒っているのか、慎重なのか軽薄なのか、余人には窺い知れない表情になって、瞬の言を否定した。

「行動と心の清廉は違うんですよ」
「意味がわかりません……。人の命を奪うことは罪だし、罪に良いも悪いも清いも汚いもないでしょう?」
「言葉には気をつけた方がいい。闘いの結果もたらされるものを罪だと断じることは、アテナの掲げる正義を否定することになりますよ」
瞬に釘を刺してから、思わずひるんだ瞬に、ムウはまた彼の真の必殺技を繰り出してきた。

を倒す。を倒す。自らを正義と信じて倒す。自身の行為を罪と認識して倒す。倒して悔やむ、悔やまない。人の死を悲しむ。弱さや邪悪の当然の報いと思う──行動はひとつでも、倒す者の心の中は、人によって、時と場合によってすべて異なる。倒される者の心も同様。当然、同じ行動の意味もそれに従って違ってきます」

「人の命を奪うことに違いはないじゃないですか。僕は罪人です」
「では、こういう言い方をしましょうか。黄金聖闘士は、地上の平和を乱す者やアテナに敵対する者を倒しても、罪悪感を抱かないのですよ。もちろん、悲しむこともない。他の聖闘士たちも、概ねはそうです。君は、アテナの聖闘士としては非常に特殊です」

「…………」
の死を悲しむ聖闘士は、アテナとアテナの聖闘士たちを否定するものだと責められているようで、瞬はムウに対して反駁を重ねることができなかった。
瞬は、自分自身を罪人だと自覚しながら、彼の仲間たちもそうなのだと思ったことはなかった。
同じことをしている仲間たちは許せるのに、自分をだけは許してしまえない。
それは、自分だけは綺麗なままでいたいという卑怯な考えなのではないかと、瞬は疑いの心を持った。

しかし、瞬は、どうしてもムウの言葉に頷いてしまうことはできなかったのである。
彼は、自分以外にも、敵の死を悲しむ聖闘士を知っていた。

「アテナに敵対する者を倒すことを悲しむのは、僕だけじゃない。氷河も悲しんでました」
「それは違う。彼が悲しんだのは、彼の倒した者が“敵”ではなく身内だったからでしょう。そうでない者たちを倒した時に、キグナスが、君のように涙の一粒でも零したことがありますか」
「え……」
「彼も聖闘士ですよ。所詮は」

ムウの返答は、にべもなかった。かつ、容赦ない。
そして瞬は、彼の言葉に初めて、心からの衝撃を受けた。
無論、瞬は、氷河のすべての闘いを見ていたわけではない。
だが、瞬は、氷河は自分の同類だと、それまで固く信じていたのだ。

頬を青ざめさせた瞬に、ムウが更に言い募る。
「いえ、君の方が普通なんですよ。一個の人間としてはね。だが、聖闘士というものは、普通の人間と同じ心でいるわけにはいかない。敵を倒すたびに、それを悲しんでいたのでは、君の方が壊れてしまう。これまで君は、人の心を捨てることをしないまま、絶妙のバランスで正気を保ってきた。だが、聖闘士が普通の人間の心と聖闘士としての力を併せ持っていることは、やはり問題なんです」

ムウの言葉は、既にその意味を瞬に考えさせることもしなかった。
彼の声は、街の雑踏で擦れ違う他人の他愛のないお喋りのように、瞬の耳と心を通り過ぎていった。






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