「とりあえず、君は聖域に来るように。頑固な君を汚すことができるのか、我々黄金聖闘士たちが 少々試してみます」 「瞬を汚すためって まさか瞬に無体なことをするつもりじゃないだろうな!」 氷河がそれまで口を開かずにいたのは、瞬が自分にとってだけ特別な存在なのだと信じていた認識を覆されてしまったせいだった。 彼は困惑していたのである。 瞬は普通の人間で、普通の聖闘士で、ただ恋する者の目にだけ、その姿が永遠に聖なるものとして映って見えるだけなのだと、氷河は、つい昨日まで信じていた。 自分の目にだけ聖なるものとして映っているのだとわかっていながら、それでも氷河は、その存在を汚す可能性のある行為に及ぶことを躊躇していた。 それを、地上の平和や人類の存続のため──などという もっともらしい大義名分を掲げて、実行しようとする者がいるという事実は、氷河には到底許容できないことだった。 氷河はもちろん、瞬の心を汚すことなどは考えたこともなかったが、人の心はどんな些細なことがきっかけで変わってしまうかわからない。 まして相手は瞬である。 氷河は慎重にならざるを得なかったのだ。 氷河が何を考えているのかを察して、ムウは薄く苦笑した。 彼はそんなことまでは考えていなかったらしい。 「ああ、そういえば、アンドロメダは心身共に清らかなんでしたね。肉体の方をすっかり忘れていました。……が、それもいいかもしれない」 ふと思いついたように、そして、氷河をからかうように、ごく軽い口調でムウは言った。 しかし氷河は、彼に同調して 「そんなことは、俺が許さないぞ!」 冗談ではないのである。 だが、ムウも、決して冗談でそんなことを口にしたのではなかったらしい。 彼は、少しだけ真顔になった。 「肉体を汚すことは、実に容易です。誰にでも出来る。心を汚すことの方が難しいんですよ。アンドロメダが、身体を汚されたくらいのことですさむような脆弱な心の持ち主だったなら、こんな苦労もなかったのですが」 「…………」 氷河もそう思っていた。 だから、自分の中にある、瞬に向けられた様々の欲望を打ち消そうと思ったことはない。 彼はただ、理由もなく──理由はあったのかもしれないが、自覚せず──瞬の心を確かめることをためらっていただけだった。 「心を汚す試みが徒労に終わったら、肉体を汚すことは無意味なので、まずは心の方を──と思っていたのですが、同時進行の方が効果的かもしれないですね」 にこやかに言ってのけるムウに、氷河は歯噛みをした。 そんなことを冷静に言ってしまえるような輩に瞬に触れる権利はない──と、氷河は思った。 そんなことが現実になってしまったら、本当に瞬が汚れてしまうではないか。 「そ……そんなことは……! だ……だいいち、誰が──」 「そのあたりは、アンドロメダの希望に沿いますよ。お望みの女性を──ああ、この場合は男性の方が有効でしょうか。黄金聖闘士たちも、地上の平和と安寧のためになら、あえて汚れ役を受け持つくらいの侠気は備えています」 例え話にしてもおぞましいことを、ムウはあっさりと言葉にする。 氷河は、怒るより先に、むしろ呆けてしまいそうになっていた。 「心配は無用です。アンドロメダの命を奪うわけではありません。我々はただ、アンドロメダに君たちと同じくらいに、敵を倒しても苦しまない聖闘士の心を養ってもらいたいだけなのです。真の聖闘士になってもらいたいだけ」 だが、真の聖闘士になってしまった瞬は瞬ではない。 それがなぜ黄金聖闘士にはわからないのかと、氷河は焦れ、憤った。 そんな簡単なことにすら思い至れないほど黄金聖闘士というものたちは馬鹿だったのか、と。 「もう少し早く情報が得られていたなら……。アンドロメダが自分の意思や価値観を形成する前だったなら、事はもっと容易に運んだでしょうに」 氷河の憤りにも焦慮にも、ムウは全く頓着しない。 涼しい顔で、彼は瞬に告げた。 「1週間ほど猶予を与えましょう。私は一足先に聖域に帰りますが、1週間後には、君も聖域に来るように」 「僕……は──」 瞬は牡羊座の黄金聖闘士に何事かを訴えようとしたのだが、それは、 「これはアテナの命令です」 というムウの一言で、非情に遮られた。 |