平和の砦






カミュが持ってきたものは聖衣ボックスに似て非なるもの──行李こうり──と呼ばれるものだった。
現代の一般家庭では とんと目にすることがなくなったが、時代劇などではよく見かける代物である。
竹や柳で編まれた、衣類等の収納に用いられる蓋つきの入れ物。
彼は、それをわざわざギリシャ聖域から背負って日本までやってきたらしい。

案内も乞わずに、城戸邸の自らの弟子の部屋にあがりこんだカミュは、『こんにちは』や『明けましておめでとう』の挨拶もなく、突然の師の登場に驚いている氷河の前で、おもむろに行李のかぶせ蓋を取った。
途端に、テーブルの上に置かれた行李の中から、宇宙開闢のビッグバンもかくやと思われるような眩しい閃光が部屋中に放射され、氷河は自身の目を守るために反射的に目をつぶった。
が、その光は、氷河の瞼を通り抜けて、氷河の視覚を刺激してくる。
痛いほどに──それは、とてつもなく強い光だった。

「な……いったい何が……何が起こったんだ……!」
これは悠長に『今年もよろしく』などという挨拶を告げている場合ではない。
驚異の閃光に圧倒されつつ、氷河が叫ぶように問うと、カミュは弟子にその物体の説明をする代わりに、行李の中から光の源を取り出した──らしい。
そして、それを、氷河の(閉じている)目の前で、ばさばさと振った。

その巨大猛禽類の翼の羽ばたきのような音によって、氷河は、その光の元が布であることを知り、恐る恐る手を伸ばして布の形状を確かめた末に、その布が一着の着物であることに気付いた。
カミュが持ってきたものは、つまり、黄金の光を放つ japanese dress。
英語で言ってもkimono、おフランス語で言ってもkimono、おそらくはギリシャ語で言ってもkimono──だったのだ。

「聞くところによると、日本ではケン・マチュダイラという渋い壮年俳優が金ラメの着物を着て踊るサンバが大流行しているそうだな。マチュケンサンバとか言う」
「マチュケンサンバ……?」

氷河は、実際にはそれを見たことはなかったが、そういうモノが流行っているという話は聞いたことがないでもなかった。
シリーズ物の時代劇で一世を風靡したベテラン俳優がキンキラキンの着物を着て、派手なバックダンサーズを従え、完全にイッた目をして腰を振りながら踊り狂うサンバが、世間で異様に受けている──という話は。
瞬以外の男に興味のない氷河は、そんなものをわざわざ見ようという気にはならなかったが、時々星矢が、突然何の脈絡もなく、『オーレーオーレー、マチュケンサンバァー!』と歌って踊り出すシーンには、彼も幾度か出合っていた。

「私はそのマチュケンサンバを、昨年末 衛星中継されたコーハクウタガッセンとかいう番組で初めて見たのだ。アテナの聖闘士たるもの、アテナがお育ちになった国の情報はしっかりチェックしておかないとな」
「それがどうしたというんだ」
そのマチュケンサンバとアテナの聖闘士との関連性がわからず、氷河はカミュに再度尋ねたのである。──無論、目を閉じたままで。

カミュは、氷河のその問いにマトモな答えを返してよこさなかった。
代わりに彼は、突然、話を明後日の方に飛ばした。
「話は変わるが、聖域では毎年1月、十二宮対抗隠し芸大会が行なわれる。闘うことだけが聖闘士の能ではないことを示すための有意義なイベントだ。勝利者にはアテナが御手ずから月桂樹の冠をくださる。この上ない栄誉だ」

「…………」
明後日の方に飛んだカミュの説明が、突然氷河に悪い予感を運んでくる。
悪寒がするほどに、それは悪い予感だった。



*皆様ご存じとは思いますが、→ 参照



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