──それは、瞬のちょっとした好奇心だった。

最近行き先を告げずに外出することが多い氷河は、昨日も、瞬がガラス工芸展に誘おうとした時に城戸邸内にいなかった。
彼がどこに行ってるのか、誰に聞いても誰も知らない。
瞬は、自分が求めた時に氷河が側にいてくれないことに、少し機嫌を損ねた。

だから、それはちょっとした意趣返し、ちょっとした好奇心だったのである。
氷河はいったい何の本を買ったのか──。
瞬はそれを探ってみようと思ったのだ。

「あの……今の金髪の人が買っていった本、僕も欲しかったんですけど、見つけられないんです。もうないんでしょうか」
瞬は、レジコーナーの中にいる20代半ばとおぼしき青年に声をかけた。
瞬に尋ねられた青年は、瞬の姿を見るなり大きく瞳を見開いて、それから奇妙に顔を歪めた。
おそらく彼は、教育の行き届いていないバイトか何かなのだろう。
それは、客に見せていい表情ではなかった。

「──あんな、男女問わずモテそうな男が買ってくのも変だと思ったけど、君みたいな子まで、あの本のお世話になるのか……。いったい世の中どうなって──」
バイト青年は、そこまで言ってしまってから、自分より明らかに年下でも瞬は客であり、今の自分は接客業に従事しているのだという事実を思い出したらしい。
彼はすぐに口調を変えた。

「すみません。『出会い系チェリーボーイ』はもともと発行部数が少ない雑誌だから、ウチでも3冊しか仕入れなかったんです。半月もすれば次の号が発売になりますから、そっちを待った方がいいかもしれません。もしどうしても今月号が欲しいんだったら、出版社にバックナンバーの取り寄せを頼めますが……」

「出会い系チェリー……」
誌名を聞いただけで、それがあまり堂々と購入できる種類の雑誌ではないことがわかる。
バイト青年の奇異の視線にさらされることにいたたまれず、瞬は慌ててその場をごまかした。
「か……勘違いしてました。ごめんなさい。今の人が買っていたのは、てっきり──」
素早くレジのカウンターの後ろの棚にある書籍の名前を読み取り、瞬はそのタイトルを彼に告げた。
「『よみがえれ、日本の農協』だと思って……」

「あ、それなら在庫あるよ。全然売れる気配がないから返品しようと思って、午前中に引っ込めたところだったんだ──です」
『よみがえれ、日本の農協』も瞬が読むには、あまりそぐわない内容の本だったろう。
だが、教育のなっていないバイト青年には、瞬に『出会い系チェリーボーイ』を購読されるよりは『よみがえれ、日本の農協』を購読されることの方が、ずっと好ましく感じられることだったらしい。
彼は、機嫌良さそうに背後の棚から問題の本を引き抜いて、その表紙を瞬に指し示してくれた。

結局瞬は、全く読む予定のない『よみがえれ、日本の農協(税込み3150円)』を手に、今日初めて立ち寄ったその書店をあとにすることになったのだった。






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