瞬が、城戸邸の裏庭で氷河と星矢の喧嘩の場面に出くわしたのは、あの書店で氷河の姿を見かけた日から1週間が過ぎた頃だった。
もっとも、それを『喧嘩』と言ってしまっていいのかどうかについては、瞬も判断に迷うところがあったのだが。

氷河は星矢を殴っていたが、星矢は氷河に全く反撃していなかったのだ。
何発か星矢を殴ると、それで気が済んだのか、氷河はまもなくその拳をおろした。
そして、地面に仰向けに倒れている星矢を怒鳴りつけた。

「いいか、あの本のことを瞬に教えようなんてことを二度と言い出すなよ! 瞬には絶対に言うな! 言ったらどうなるか……」
「わかってるって!」
切れた唇で、星矢もまた氷河に怒鳴り返す。
その返答を聞くと、氷河は、ひどく荒々しい足取りで、星矢を助け起こすこともせずに、その場を立ち去っていった。

喧嘩の原因──もとい、氷河の一方的な暴力の原因──が、“あの本”にあるらしいことを知った瞬は、倒れている星矢の許にすぐに駆け寄っていくことができなかったのである。
“あの本”とは、あの本のことだろう。
おそらく星矢は、氷河が“あの本”を利用していることに気付き、氷河は星矢にその件についての口止めをしていた──ものらしい。

そういう場面に気軽に割って入っていくことが、瞬にはできなかったのである。
不安と困惑に揺さぶられる気持ちを、1、2分かけて静めてから、瞬は、偶然通りかかったふうを装って、星矢の側に駆け寄った。

「星矢、どうしたの」
「あ、いや、転んだんだ」
星矢はどうやら、自分が何のために誰のせいで唇を切るほどのダメージを受けたのかを、瞬に告げ口する気はないらしい。
瞬はジレンマのようなものを感じながら、倒れている星矢が身体を起こすのに手を貸した。

「……転んだくらいで、こんなにぼろぼろになるわけないでしょう」
「転んだ先に石ころがあってさ、咄嗟に流星拳を打ったら、地面がえぐれて、土や砂利がすごい勢いで俺に反撃してきたんだよ」
「地面がえぐれた……って、いったいどこが」
「今、元に戻した」
「…………」

そんな馬鹿げた嘘をついてまで、星矢が氷河の暴行の事実を隠す必要がどこにあるのだろう。
瞬は、星矢が秘密を守ろうとするのは、氷河の暴力や報復を怖れたからではなく、彼のもう一人の仲間の気持ちを慮ってのことなのだろうと察した。
氷河の乱行に気付いた星矢は、だがその事実を、もう一人の仲間に──瞬に──気付かせないために、そんな嘘を重ねているに違いないと、瞬は思ったのである。

星矢の思いやりに応えるために、結局瞬は、氷河の行動に気付かぬ振りを続けなければならなくなった。
少なくとも、氷河の心が自分以外の誰かに移ったことを微笑んで受けとめられるようになるまで──瞬は、星矢と氷河に欺かれていることを決めたのである。


うぬぼれていた自分が悪いのだからと、瞬は必死に自分の中の妬心を抑えとした。
陽光の下で堂々と眺めることができる類の雑誌ではないが、それを利用すること自体は、他人を傷付けることでもなければ、他人に迷惑を及ぼすようなことでもないのだ。
氷河を責めるわけにはいかない。
非は自分にあり、氷河の行動に非はないのだから、自分がその事実を受けとめられるほどの大人になりさえすればいいのだと、瞬は必死に自らに言い聞かせ続けたのである。

だが、瞬が大人になりきる前に、その事件は起こった。






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