事件といっても、特別な何事かが起こったわけではない。
ただ瞬が、とある事実に気付いてしまっただけのことだった。

いつものように夜遅く帰宅した氷河が、ラウンジのソファの上に投げ捨てていった上着のポケット。
その中から、妙な音が漏れ出ていた。
それは、半年ほど前に沙織が青銅聖闘士全員に強制的に持たせた携帯電話が発する音で、どうやらマナーモードに設定されているらしく、氷河のそれは低い振動音を響かせていた。
まさか他人の携帯電話をとるわけにもいかず、瞬は、そのうちに切れるだろうと思って、最初はそれを無視していたのである。──とても気にはなったが。

氷河はなかなかラウンジに戻ってこない。
帰宅した氷河は、その足で図書室に駆け込むのが最近の日課になっていた。
そして、電話の振動音はいつまで経っても鳴りやまない。
──というより、止まったかと思うと、それはまたすぐに、ジジジジジと嫌な音を響かせ始めるのだ。

手にとらない方がいい──ということは、瞬にはわかっていた。
わかっていたのに、気がつくと瞬は、それを氷河のジャケットのポケットから取り出してしまっていたのである。
先ほどからの耳障りな振動音は、電話の着信音ではなく、メールが届いたことを知らせるものだった。
受信メールBOXを選んで決定ボタンを押すと、液晶画面に未読のメールのタイトルがずらりと表示される。

『転送:ぜひ会ってください』
『転送:付き合ってください』
『転送:会ってほしい』
今日の日付のものだけで50通近くあった。
おそらく、あの雑誌の出版社が用意したアドレスから転送されてきたメールなのだろう。
昨日までのメールは全てが既読になっていて、しかも全てに返信済みだった。

『一つのこと』以外にはほとんど意識が向かない あの氷河が、どこの誰からのものとも知れない何十何百通ものメールに律儀に返信しているのである。
今の彼の『一つのこと』がこれ・・なのだということは、もはや疑いようのない事実だった。






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